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第103回全国高校野球選手権

第103回全国高校野球選手権大会(8月9日~25日)の特集サイトです。

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18センバツ国栃 春の系譜~先輩からのメッセージ/上 ベンチ内外は関係ない /栃木

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福井商戦で好プレーを見せ、走者をタッチアウトした国学院栃木の三塁手。全員野球の末に甲子園初勝利を手にした=阪神甲子園球場で1987年3月27日 拡大
福井商戦で好プレーを見せ、走者をタッチアウトした国学院栃木の三塁手。全員野球の末に甲子園初勝利を手にした=阪神甲子園球場で1987年3月27日

 <第90回記念選抜高校野球>

1987年 「全員野球」で初出場

 18年ぶりの甲子園に挑む国学院栃木は過去に3回、センバツに出場した。いずれも初戦を突破するなど確かな足跡を残した「春の先輩」たちの言葉を通し、国栃野球の系譜を伝える。【李舜】

 1980年代後半、栃木の高校球界は活気づいていた。86~88年の甲子園出場校には、後にプロ野球で活躍した選手も目立った。

 86年のセンバツでは、下級生ながらエースとして宇都宮南を準優勝へと導いた高村祐さん(元近鉄)が脚光を浴びた。87年夏の甲子園は足利工の2年生投手として石井琢朗さん(元横浜)が出場。88年のセンバツで4強入りした宇都宮学園(現文星芸大付)では、ヤクルトで選手、監督を務めた真中満さんらがチームを引っ張った。

 一方、87年にセンバツ初出場を果たした国学院栃木のメンバーには、ずば抜けた力の選手はいなかった。85年に入学した部員は約80人もいたが、厳しい練習についていけないなどの理由で、センバツの頃には23人に激減。ただ、残った部員の結束は固かった。「全員野球」を掲げ、「春」への扉を開いた。

 当時のメンバーは「甲子園はあこがれの場所ではなく身近なもの」と感じていた。85年夏、創部26年目で甲子園に初出場したチームをスタンドで応援した。桑田真澄投手や清原和博選手らを擁したPL学園が、大会記録となる29得点で大勝した直後の試合だった。関東一(東東京)との初戦で3-4で惜敗したものの、甲子園出場を現実の目標として見据えることができたのは、大きかったという。

 当時、甲子園のベンチ入りメンバーは現在より3人少ない15人。壮行会にはメンバーのみがユニホームを着用し、出席する予定だったという。しかし、主将だった鈴木清さん(49)は「ベンチ内外は関係ない。全員が野球部。全員で壮行会に出たい」と直訴した。公式戦用ではなく、全部員が持っている練習試合用のユニホームを着て、全員で参加した。センバツはアルプス席で応援した深谷典昭さん(49)は「口だけではなく、本当に『全員野球』だった。だからこそ、甲子園初勝利を挙げた時、涙ながらに喜べたんです」。

 今大会には1、2年生計65人の部員で臨む国栃。左翼手で副主将を務めた安良岡英樹さん(49)は「グラウンドもアルプスも関係なく、全員野球で戦い、甲子園という場所をとことん楽しんでほしい」とエールを送った。


第59回大会(1987年)

1回戦○6-5福井商(福井)

2回戦●2-12熊本工(熊本)

 センバツ初出場の国学院栃木は1回戦で福井商(福井)と対戦。前半は激しい打撃戦で四回を終えて5-5となった。五回以降は一転して両チームともゼロ行進。国栃は九回2死二塁から鶴見友亮選手の適時二塁打で決勝点を挙げた。春夏通じて初となる甲子園での勝利に、スタンドは沸き返った。

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