特集

第94回センバツ高校野球

第94回選抜高校野球大会の特集サイトです。阪神甲子園球場での熱戦全31試合をLIVE配信します。

特集一覧

春風吹かせ!

’18センバツ 神奈川の90回/上 元巨人・柴田勲さん 法政二のエース /神奈川

  • ブックマーク
  • 保存
  • メール
  • 印刷
県勢初のセンバツ優勝となった第33回大会などの思い出を語る柴田勲さん=2月24日 拡大
県勢初のセンバツ優勝となった第33回大会などの思い出を語る柴田勲さん=2月24日

 <春風(しゅんぷう)吹かせ! 第90回記念選抜高校野球>

優勝こそが目的 「緻密な野球」で県勢初V

 県勢が初めてセンバツを制したのは1961年、第33回大会でのことだった。前年夏の選手権で優勝した法政二が、初めて紫紺の優勝旗を神奈川に持ち帰った。続く夏は準決勝で大阪の強豪校・浪商(現・大体大浪商)に敗れたものの、県勢歴代最多の5年連続での夏の甲子園出場。チームは「高校野球史上最強」とも呼ばれた。法政二のエースとして、激戦を投げ抜いた元巨人の柴田勲さん(74)に、野球王国・神奈川の礎を築いた当時を振り返ってもらった。【中村紬葵】

 --第33回大会はどんな大会でしたか。

 一番覚えているのは個々の試合よりも「優勝するために行く」と言って、ちゃんと優勝してきたということ。優勝することが目的だったから、スコアは覚えていないぐらい気にしていなかった。味方が3点とってくれたら2点まではあげていいぐらいに思っていたから案外、気楽に投げていたと思う。

 --強さの要因は何でしたか。

 選手の粒がそろっていて、走攻守全部で層が厚かった。県内の学校数が今よりも少なかったから、新入部員はとても多かった。人数は段々減っていくが、紅白戦で主力組が控えに負けることもあった。田丸仁監督は打てる打者が4人いればいいという考えの人で、周りにバントなどの小技をできる選手を置くことで「緻密な野球」を作ってきた。センバツはその田丸監督から新しい監督に代わってはいたが「優勝できるぞ」という自信のままやっていたと思う。

 --どんな練習をしていましたか。

 照明の設備が無いから、練習できるのは授業が終わった午後3時ごろから日暮れまでの2時間ぐらい。捕手を座らせて1日70~100球くらい投げていた。試合で120球投げるなら練習では150球投げないといけないと言われていたが、無駄な球を投げたくなくてストライクばかり投げていた。試合での体の負担は相当あったと思う。年末年始しか休みがなく、雨で練習が中止になると喜んでいたのも懐かしい。

 --今の高校野球を見て、どんなことを思いますか。

 当時は木製バット。金属バットになって野球が変わった。今の方がパワーもあるし、投手もいろんな球種を投げる。僕は直球と小さいカーブしかなかったから、金属バットだったら投手はやっていなかったかもしれない。練習を効率的にやろうという考え方も進んでいる。

 昔は無かった学校が強くなってきていることも感じる。当時は今ほど私立と公立の差が無くて、田丸さんの影響で法政二に選手が集まって強くなったが、甲子園に行ったのは慶応以外はほとんどが公立だった。法政二が3季連続で甲子園に行ってから、私立が本格的に選手を集めるようになってきたのだと思う。今は神奈川から他県の学校に進学する選手も多く、層の厚さを作りにくい。難しい環境ではあるが、全国の舞台で神奈川のチームに活躍してほしい。

    ◇

 23日に開幕するセンバツは今年で90回目。かつての球児や指導者の思い出を通して、県勢が積み重ねてきた栄光の歴史と県内の高校野球の変遷をたどる。


法政二 初優勝の軌跡◇

 1961年センバツ

2回戦  ○ 4-1 北海(北海道)

準々決勝 ○ 3-1 浪商(大阪)

準決勝  ○10-1 平安(京都)

決勝   ○ 4-0 高松商(香川)


 ■人物略歴

しばた・いさお

 横浜市出身。法政二の投手として1960年夏から3季連続で甲子園を経験。巨人では野手に転向し9連覇に貢献、盗塁王に6回輝いた。現在は日本プロ野球名球会副理事長などを務める。

関連記事

あわせて読みたい