特集

第94回センバツ高校野球

第94回選抜高校野球大会の特集サイトです。阪神甲子園球場での熱戦全31試合をLIVE配信します。

特集一覧

春風吹かせ!

’18センバツ 神奈川の90回/下 前横浜監督・渡辺元智さん 春夏5度全国制覇 /神奈川

  • ブックマーク
  • 保存
  • メール
  • 印刷
渡辺元智さん 拡大
渡辺元智さん

 <春風(しゅんぷう)吹かせ! 第90回記念選抜高校野球>

己の人生に生かせ 愛情注ぐ「精神野球」の名将

 指導者としてセンバツに15回出場し、優勝も3回経験した。県内で群を抜いた実績を誇る横浜前監督の渡辺元智さん(73)。50年にわたる指導者人生の中で、監督として初めて全国制覇を果たしたのも、最後の甲子園出場も、その舞台はセンバツだった。強豪ひしめく神奈川で戦うために行き着いたのが、選手に愛情を注ぐ「精神野球」だったという。夏も優勝2回を含む14回の出場経験を持つ名将に、センバツならではの難しさを聞いた。【中村紬葵】

 --センバツで最も印象に残るのはどの大会ですか。

 初出場初優勝した1973年の第45回大会はよく覚えている。初戦の小倉商(福岡)戦は2-2で延長に入ってサヨナラ満塁本塁打。決勝の広島商(広島)戦も1-0の延長十回に失策で同点になり、直後の十一回に失策をした選手が2点本塁打を放って勝った。選手の努力があるので奇跡という言葉は使いたくないが、そう言いたくなるようなドラマが2試合もあった。

 決勝の失策は一度グラブに入った球を落として、取っていればそこで優勝だった。スタンドから投げられた物を片付けていたのか、攻撃に移る前にその選手がベンチに戻るのが遅れた。その一瞬の間が「打席が回ってくるから打てばいい」と選手に言う余裕をくれた。本塁打は、極限の状況にも耐えられるくらいに自身を追い込んで練習してきた努力のたまものだと思う。

 --指導を続ける中で、高校野球の変化をどのように感じましたか。

 当時は法政二の田丸仁監督が築いた「緻密な野球」、東海大相模の原貢監督の「豪快な野球」が県内で力を誇っていた。それらのチームに勝つためには、緻密さと力が両方なければいけない。東海大相模にはなかなか歯が立たなかったが、満月の明かりの下で球に石灰を塗ってノックをするなど試行錯誤した。だんだん粉が飛ぶ方向を見て選手が動けるようになり、反応が早くなった。打倒東海大相模で、地道に取り組んでいた。

 その上で、人を動かすには信頼関係が第一。やんちゃな選手たちに一対一で朝まで練習に付き合い、「自分のためにやってくれる」と信じてもらえる関係を築いた。あえて言うなら私の野球は「精神野球」。選手に愛情をもって接したことが、松坂(大輔投手)時代の1年間無敗44連勝の記録につながった。

 だからこそ、野球だけでなく「人生の支配者たれ」という言葉が出てきた。高校野球は試合に出る選手だけのものではない。野球では活躍できなくても、その後の人生に生かせればいい。その考え方が広がっているのを感じている。

 --センバツならではの難しさは何ですか。

 個人的にはセンバツは夏よりも難しいと思っている。大会までに実践を積む期間が短く、調整に気を使う。現地に入ってからもいかに実践練習を積み、大会期間中に成長できるかが鍵。

 経験のある東海大相模は、いかにしたたかな戦略を描けるか、久しぶりに出場する慶応は、常連校にも挑む気持ちでやってきたことを出せるか。夏があると思うと勝てない。相手はベスト以上の状態で臨んでくると考えて、両チームには、ぜひ活躍してほしい。


横浜 初出場初優勝の軌跡◇

 1973年センバツ

2回戦  ○6-2 小倉商(福岡)

準々決勝 ○3-0 東邦(愛知)

準決勝  ○4-1 鳴門工(徳島)

決勝   ○3-1 広島商(広島)


 ■人物略歴

わたなべ・もとのり

 松田町出身。1965年から横浜のコーチを務め、68年監督に就任。2015年の引退まで春夏通算29回出場で52勝、優勝5回。松坂大輔投手(中日)ら多くのプロ野球選手を育てた。

関連記事

あわせて読みたい