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旧優生保護法の下で強制された不妊手術について国に損害賠償を求めた訴訟を前に、弁護団に続いて仙台地裁に入る支援者ら=仙台市青葉区で1月30日、喜屋武真之介撮影

 <くらしナビ ライフスタイル>

     国賠訴訟を機に、被害補償のあり方を検討する議員連盟発足、厚生労働省の実態調査と、事態が急展開している。これを手放しで歓迎していいのか。被害者とともに活動してきた市民グループ「優生手術に対する謝罪を求める会」のメンバーでフリーライターの大橋由香子さん(58)は、複雑な思いで事態を見つめる。「どこが問題だったのか検証し、国は本気で過去に向き合ってほしい」

     ●人口政策を象徴

     旧優生保護法は、障害者の不妊手術を定め「不良な子孫」を規定しただけの法律ではない。日本は、刑法で女性に中絶を禁じるための「堕胎罪」を今も定めており、「例外的に合法とする」要件を定めるのが旧優生保護法、という法律構成だ。

     つまり、「女性は子どもを産むべきである」という社会規範がある上で、「ただし産まなくてもよいケースを国が決める」ということだ。その目的の一つとして「不良な子孫の出生防止」を掲げた。戦中の「産めよ殖やせよ」から敗戦後の人口抑制に至る人口政策を、象徴する法律だった。

     「女は自分の体のことを他人から口出しされる存在なんだと思うと、悲しくて」。大橋さんは学生だった1980年代から、避妊や中絶、女性の健康に関わる運動に参加。人口政策に女性が利用された歴史から脱却し、「産むか産まないか」を自己決定できる社会となるよう願った。それが活動の原点だ。「(被害者の)支援というより、自分に降りかかる問題だから続けてきた」と話す。

     ●障害者が差別告発

     「求める会」は女性運動と障害者運動の当事者が連携する形で優生保護法の問題に取り組み、法改正後の97年に生まれたグループだ。しかしかつては、中でも「中絶」のあり方について、障害者団体から厳しい視線が注がれていた。

     時は72年にさかのぼる。優生保護法は大きな岐路を迎えていた。中絶が許可される項目から「経済的理由」を削除する▽新たに「胎児に障害がある恐れがある場合」(胎児条項)を追加する--という改正案が国会に上程された。背景には、60年代に羊水検査・出生前診断が始まったことがある。全国で「不幸な子どもの生まれない運動」として羊水検査の費用助成や不妊手術の積極実施が推進された。

     この動きは「私たちの存在否定だ」という障害者の反発を招いた。先頭に立ったのは、故横田弘さんら脳性まひの当事者団体「青い芝」神奈川県連合会だ。70年代、車いすの集団で電車やバスに乗ったり路上で演説したり、先鋭的な差別告発運動で知られる。

     生き方の「幸」「不幸」は、およそ他人の言及すべき性質のものではない筈です。まして「不良な子孫」と言う名で胎内から抹殺し、しかもそれに「障害者の幸せ」なる大義名文を付ける健全者のエゴイズムは断じて許せないのです。(原文ママ、会報より)

     これに先立つ70年には、横浜市で、母親による重度脳性まひの子の殺害事件が起きていた。当時は重度障害児は養護学校に通うことも許されず、人権保障も不十分。また、家族介護の限界や、社会福祉として障害者施設整備を訴える声が高まりつつあった。この事件では、育児疲れの母親への同情論や、刑の減軽嘆願運動が盛り上がっていた。

     しかし「青い芝」は大規模施設(コロニー)も「隔離、管理であり存在を隠すもの」と批判。母親の刑の減軽反対運動も展開し、殺害に至る価値観そのものを問題視した。

     一方、女性団体からは中絶規制に反対する声が上がっていた。「青い芝」の批判の矛先は、そこにも向けられた。障害児の否定につながるのではないか、と。

     「胎児に障害があれば、中絶するというのか」。当時、女性運動に関わり、今は「求める会」でも活動する米津知子さん(69)は、そう問うた男性障害者のけんまくを忘れることができない。「怖かったですよ、まるで私が(彼らの)母親であるかのような激しい調子でした」と振り返る。自身、ポリオの後遺症で足に障害を持つ。「女性は男性に選ばれ、結婚・出産して一人前」という時代。小学生のころだ。「母に『私、将来どうなるのかな』と聞くと、母が頭を抱えてしまい、一言も言えなかった」。母もつらいのかと、それ以来何も聞けなくなった。足をかばいながら町を歩くと、人々は目をそらす。自分を障害者と認められない時期を長く過ごした。

     しかし大学時代に、ベトナム反戦運動や学生運動のうねりの中で、性差別を問うウーマンリブ運動に出合う。「自分の苦しみは社会問題だ」と気付くことで、救われる思いがした。女性であり障害者という立場で、障害者団体との対話集会にも参加するようになっていった。

     障害児なら産まないのか、殺すのか。「障害者が生かされない世の中で、それでも産むかと言われたときに、産むと言い切れない私がいる」。難しい問いにも自分をさらけ出して向き合った。たどり着いたのは、「子どもに手をかける女性ではなく、障害児殺しをさせる国、女性を使って行われる優生政策に、一緒に怒りたい」という地点だった。

     ●管理から自由に

     80年代に入ると、女性障害者の子宮摘出が行われている実態が明らかに。90年代には女性や障害者団体が連携し、国際会議で優生保護法下の問題を報告。性と生殖に関する自己決定権(リプロダクティブヘルス・ライツ)という人権概念が提唱される中、日本は世界から批判を受け、96年、自民党主導で優生部分を削除し、母体保護法に改正した。

     国会が優生保護法改正を可決する日、米津さんは一時は激しい議論を交わした横田さんと車いすを並べ、見届けた。しかし歴史的瞬間にも、喜びは半ばだった。国は優生保護法の人権侵害を謝罪することはなく、女性の自己決定権に関する議論にも踏み込めなかったからだ。そそくさとした幕引きに悔しさが残った。「くさいものにふたで終わらせたくない」。その思いが「求める会」で活動する原動力の一つでもある。

     大橋さんは「手術被害者への補償で終わりではない」と感じる。「『不良な子孫』と人にレッテルを貼り人口を管理する発想から自由になりたい」。「産むか産まないかは私が決める」と言えるのは、そんな社会だと思うからだ。


    優生保護法・母体保護法をめぐる動き

    1948年 優生保護法施行

      72年 優生保護法に「胎児条項」を加え、「経済的理由」を削除する改正案上程

      74年 同改正案が障害者、女性団体の反対で廃案

      82年 同法の「経済的理由」を削除する改正案が浮上するが、女性団体らの反対で上程されず

      95年 世界女性会議で優生保護法と子宮摘出問題が報告される

      96年 優生保護法が母体保護法に改正される

      97年 「優生手術に対する謝罪を求める会」結成

    2018年 宮城県の60代女性が不妊手術を強制されたとして国を提訴

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