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旧優生保護法を問う

旧優生保護法下で不妊手術を強制された障害者らの記録に関する毎日新聞の全国調査で、強制手術を受けた人の約8割に当たる1万2879人の資料が確認できなくなっていることが判明した。「記録のない被害者」をどう特定し、救済につなげるか。

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開いた扉・旧優生保護法を問う

/2 法が差別生んだ

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「なぜ」と問いかける福田文恵さん=富山市で、岩崎歩撮影 拡大
「なぜ」と問いかける福田文恵さん=富山市で、岩崎歩撮影

 全身の力をふりしぼり、声を出す。単語をひとつひとつゆっくりとつなぎ、丁寧に伝えようとする。

 生後まもなく脳性まひになり、手足などに重い障害が残った福田文恵さん(57)=富山市=は、思い出すのもつらい10代の体験を詳細に語り始めた。

     ◇

 富山県内の養護学校に通い、初潮は高校2年の時に迎えた。障害の軽い女性たちは「おめでとう」と言われたが、自分を祝ってくれる職員はいなかった。「生理の始末をできないなら子宮を摘出すれば」。逆に看護師から生涯忘れようのない言葉を投げつけられ、「重度障害者にとって、生理は邪魔なもの」と思った。

 脳性まひは、旧優生保護法(1948~96年)が定めた強制不妊手術の対象ではなく、子宮の摘出も認められていなかった。しかし、「障害者」と呼ばれた人たちに対する社会の見方は、障害の様態に関係なく冷たかった。医師の反対で手術は免れたが、看護師から「取らないなら、自分で生理の始末をする練習をしなさい」と迫られた。

 不自由な手で服を着たり脱いだりしてみたが、体への負担は大きすぎた。自分一人では何もできないと思うと、言い返すことなどできなかった。その時に無理をしたためか、20代のころには日常生活のすべてで誰かの介助が必要になった。

 施設で生活を共にした脳性まひの友人(60)も「生理は悪いこと」と信じ、22歳の時に希望して子宮を摘出した。友人は後遺症に苦しんだ過去を明かし、「私も子どもを産み育てられたかもしれない」と悔やんでいるという。

 96年に母体保護法に改正され、露骨な強制はなくなった。だが、40代のころに子宮内膜症にかかった際、医師から「生理がなくなったら楽になる」と子宮の摘出を勧められた。別の病院の検査では子宮に異常はなかった。「障害者は子どもを産まなくてよい」との意識は、法律が生んだのか。意識が法律を生んだのか。

     ◇

 3時間半に及んだ取材。福田さんは最後に問いかけた。「他人の手を借りる弱い立場になると、どうして差別されるのでしょうか」

 現在、1日のほとんどをヘルパーに介助されながら、団地で暮らしている。食事は小さく切って口に運んでもらう。お風呂もトイレも手助けしてもらう。できないことにそっと手を貸してくれる現在の環境に「自由な生活を手に入れた」と思っている。=つづく

【旧優生保護法を問う】

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