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どんなに経営が厳しくても貨物をなくすわけにはいかない
◆『鉄道貨物 再生、そして躍進』伊藤直彦・著(日本経済新聞出版社/税別1800円)
巨額の累積債務を抱え、分割民営化による再生の道を選んだ国鉄。そして1987年4月、地域別の旅客6社とともに誕生したのがJR貨物だ。旅客に比べて貨物は、エンドユーザーにはなじみの薄い分野だが、本書を読み進めると、日本の物流に占める地位や可能性が見えてくる。
民営化前の国鉄再建議論と発足からの30年の歩みを1年半を費やしてまとめたのは、JR貨物第4代社長で、現在同社名誉顧問の伊藤直彦氏。長野県飯田市出身の祖父、父ともに法律家だったことから、大学4年の時に司法試験に挑戦し、結果は不合格。捲土(けんど)重来も考えたが、「小学校3年で父を亡くしたので、就職しないとなと思った」と振り返る。
夏休みに飯田へ行き、真面目に勉強したつもりだが「あの勉強ぶりでは落ちるに」と、祖母は手厳しかった。だが、国鉄内定を報告すると、祖母は「鉄道省はいいに。真面目にやれば飯田駅長になれるわ」と喜んでくれた。
「『今は国鉄なんだよ』と言っても祖母は『鉄道省』と呼んでいました」
当時の国鉄は、東海道新幹線開業に加えて東京五輪を控え、最後の輝きを放っていた時代だった。しかし、入社した64年度には初の赤字転落。この後、わずか20年余りで累積債務は37兆円まで膨らんだ。民営化当時、伊藤氏は40代の働き盛り。この世代の国鉄幹部職員は、各後継会社の経営を軌道に乗せる運命を背負っていた。例えば、1年先輩には、葛西敬之・JR東海名誉会長がいた。
「入社4年目に留学を勧められましたが、英会話に自信がなくて断りました。その時『伊藤ぐらい日本語が話せれば、英語もすぐに話せる』と背中を押してくれたのが葛西さん。人生の大きな転機となりました」
シアトル州立ワシントン大のビジネススクールに留学し、貨物輸送が主体の現地の鉄道事情を卒業論文にまとめた。この時の蓄積が、帰国後に客貨別原価計算の仕事に役立った。
国鉄といえば、激しい労使対立が思い出される。時には、長期間のストで市民生活に影響が及んだ。この点についても、本書における伊藤氏の視点は、極めて客観的だ。後に「不当労働行為だ」として問題になった「生産性向上運動」(70年)が失敗し、さらに職場規律が乱れたことなど、当時の労使双方の問題点を率直に記している。
「貨物安楽死論」が幅を利かせ、厳しい経営が予想された貨物をあえて選んだのは、「日本の鉄道から貨物をなくすわけにはいかない」との信念からだった。
「計11年間の代表取締役時代は、信頼回復を念頭に労使一体となって頑張った」
JR貨物は、昨年3月期決算で鉄道事業部門の黒字化を達成した。
折しも、トラックドライバー不足で、長距離輸送における鉄道貨物の役割が再評価されている。
「国鉄改革に関する本で貨物に触れているものはほとんどありません。貨物分野で頑張った先輩たちの業績を記しておきたかった」
日本の物流の仕組みの成り立ちを探る一書である。(構成・花牟礼紀仁)
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伊藤直彦(いとう・なおひこ)
1940年、広島県生まれ。東京大法学部卒。64年、日本国有鉄道入社。87年、日本貨物鉄道(JR貨物)発足により関西支社長。99~2007年、社長。10年まで会長。日本物流団体連合会会長などを歴任
<サンデー毎日 2018年4月8日増大号より>