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旧優生保護法を問う

旧優生保護法下で不妊手術を強制された障害者らの記録に関する毎日新聞の全国調査で、強制手術を受けた人の約8割に当たる1万2879人の資料が確認できなくなっていることが判明した。「記録のない被害者」をどう特定し、救済につなげるか。

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開いた扉・旧優生保護法を問う

/3 ハンセン病母への手術「失敗」 堕胎逃れた奇跡

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宮古南静園の敷地内にある砂浜にたたずむ女性=沖縄県宮古島市で2018年3月22日、奥山はるな撮影 拡大
宮古南静園の敷地内にある砂浜にたたずむ女性=沖縄県宮古島市で2018年3月22日、奥山はるな撮影

 白い砂浜から水平線にかけて続く、青のグラデーション。なぎさに沿うように建てられた国立ハンセン病療養所「宮古南静園」(沖縄県宮古島)を訪れた女性(59)がつぶやいた。「生まれたことに感謝してる」

 かつて「奇跡の子」と言われた。強制的な人工中絶をくぐり抜け、生まれてきたからだった。旧優生保護法は、ハンセン病も強制手術の対象にしていた。生まれた当時、沖縄は米軍統治下で同法の適用はなかったが、園では戦時中から「妊娠すれば堕胎」が続いていた。

 ハンセン病が子に感染するとの誤解があり、同法と同じように、「不良な子孫」が生まれないようにするためだった。身ごもった母は、堕胎を当然視され、腹部に薬液のようなものを注射された。しかし、「失敗」した。女性は奇跡的に生を受け、感染もなかった。

 「弟や妹がほしい」。子どものころ、そうせがむたびに両親が言葉を濁していた理由を知ったのは、40歳を過ぎてからだった。2001年、国の強制隔離政策を違憲とした国賠訴訟の判決の確定を機に、父から真相を告げられた。「命を奪われ、声も上げられなかった他の子の分も生きなければ」。そう考えるようになった女性は16年、元患者の家族らが起こした新たな国賠訴訟の原告となった。

    ◇

 強制隔離されたハンセン病患者が結婚する際、不妊や人工中絶の手術は逆らうことのできない「条件」にされていた。

 東京都東村山市の多磨全生園に14歳で入所した平沢保治さん(91)は「明治期からの富国強兵政策の中で、病や障害のある者は人間であることを許されなかった」と振り返る。障害のある当事者も洗脳され、あらがう意思を奪われていたのだ。

 平沢さんも結婚した際、断種を強いられた。宮城県の60代女性の提訴を知ったとき、思った。「ハンセン病に続き、知的障害者らが『私たちも人間だ』と世に問う時代がやってきた。非常に価値のあることです」

 「6回、6回だよ」。95歳の女性が宮古南静園で注射により堕胎させられた回数だ。目の開かない子、もう髪が生えていた子。死んで生まれた6人の姿は忘れられない。7人目の子は園を逃げ出し、産んだ。「子どもがほしい」一念だった。今ではひ孫までいて、その写真が部屋に飾ってある。

 国の報告書によると、旧優生保護法に基づくハンセン病患者の不妊手術は1551人、人工中絶も7696人あったという。=つづく

【旧優生保護法を問う】

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