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白い砂浜から水平線にかけて続く、青のグラデーション。なぎさに沿うように建てられた国立ハンセン病療養所「宮古南静園」(沖縄県宮古島)を訪れた女性(59)がつぶやいた。「生まれたことに感謝してる」
かつて「奇跡の子」と言われた。強制的な人工中絶をくぐり抜け、生まれてきたからだった。旧優生保護法は、ハンセン病も強制手術の対象にしていた。生まれた当時、沖縄は米軍統治下で同法の適用はなかったが、園では戦時中から「妊娠すれば堕胎」が続いていた。
ハンセン病が子に感染するとの誤解があり、同法と同じように、「不良な子孫」が生まれないようにするためだった。身ごもった母は、堕胎を当然視され、腹部に薬液のようなものを注射された。しかし、「失敗」した。女性は奇跡的に生を受け、感染もなかった。
「弟や妹がほしい」。子どものころ、そうせがむたびに両親が言葉を濁していた理由を知ったのは、40歳を過ぎてからだった。2001年、国の強制隔離政策を違憲とした国賠訴訟の判決の確定を機に、父から真相を告げられた。「命を奪われ、声も上げられなかった他の子の分も生きなければ」。そう考えるようになった女性は16年、元患者の家族らが起こした新たな国賠訴訟の原告となった。
◇
強制隔離されたハンセン病患者が結婚する際、不妊や人工中絶の手術は逆らうことのできない「条件」にされていた。
東京都東村山市の多磨全生園に14歳で入所した平沢保治さん(91)は「明治期からの富国強兵政策の中で、病や障害のある者は人間であることを許されなかった」と振り返る。障害のある当事者も洗脳され、あらがう意思を奪われていたのだ。
平沢さんも結婚した際、断種を強いられた。宮城県の60代女性の提訴を知ったとき、思った。「ハンセン病に続き、知的障害者らが『私たちも人間だ』と世に問う時代がやってきた。非常に価値のあることです」
「6回、6回だよ」。95歳の女性が宮古南静園で注射により堕胎させられた回数だ。目の開かない子、もう髪が生えていた子。死んで生まれた6人の姿は忘れられない。7人目の子は園を逃げ出し、産んだ。「子どもがほしい」一念だった。今ではひ孫までいて、その写真が部屋に飾ってある。
国の報告書によると、旧優生保護法に基づくハンセン病患者の不妊手術は1551人、人工中絶も7696人あったという。=つづく
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