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サンデー毎日発

“私学3雄”トップ鼎談 早稲田、慶應、同志社 日本と大学の未来を語ろう

左から慶應・長谷山塾長、早稲田・鎌田総長、同志社・松岡学長

早稲田大・鎌田薫総長、慶應義塾大・長谷山彰塾長、同志社大・松岡敬学長が語り合った!

 学習指導要領の改定や大学入試改革など、一連の「教育改革」に注目が集まっている。この動きに大学側はどう対応していくのか。早稲田大、慶應義塾大、同志社大という“私大の雄”3校のトップを迎え、私学界の未来や各校独自の取り組みなどへ大胆に迫った。

    「入試改革」へどう臨むのか

     大学入試関連の大きな転換点としては、現在の大学入試センター試験に代わる「大学入学共通テスト」(新テスト)の導入(2020年度)と、高校の「新学習指導要領」の実施(22年度)が挙げられる。受験生やその親にとって、新テストへの対応を含む各大学の入試制度の変化、そして現代のニーズに合った教育方針をどう打ち出していくかが、大きな関心事だろう。まずはこの点を聞いた。

     --今後の教育改革の進展を見据えて、現状の考えや取り組みは?

    ◆早稲田大学総長 鎌田薫(かまた・かおる) 1948年、静岡県生まれ。早稲田大法学部教授、パリ大交換研究員などを経て2010年に総長就任。学外でも、教育再生実行会議座長、日本私立大学連盟会長などを歴任。学生時代は後の俳優・大和田伸也氏らとともに、演劇に情熱を注いだ

     鎌田薫・早稲田大総長 今後の大学教育にはグローバルリーダーの育成という視点が欠かせません。それには、外国人と自由にコミュニケートできるだけでなく、価値観や文化的背景が全く異なる世界中の人たちからも信頼される“中身”を築くことが重要です。多様な個性を持った人が集まり、影響を与え合ってさらに個性を伸ばしていくことを促してきた早稲田だからこそ、多様な能力や個性を評価する入試制度を採用することで、知識詰め込み型の高校教育、さらには小中の教育にも良い刺激を及ぼせるのではないでしょうか。

     理想的には、AO入試や推薦入試も含め、「大学に入るまでの十数年間、その人がどう成長してきたか、これから何をやるか」を全人的に評価できる入試制度を実施していきたいと考えています。もちろん、マークシートで非常に優れた成績を取るのも一つの能力です。そういうものを排除するのではなく、それ以外の優れた能力や学習意欲を持った人たちにも来てもらおうということです。

    ◆慶應義塾大学塾長 長谷山彰(はせやま・あきら) 1952年、秋田県生まれ。駿河台大法学部教授、慶應大文学部教授、同学生総合センター長、同文学部長、同常任理事などを経て2017年に塾長就任。体育会相撲部長も長く務めた好角家で、塾長室の書棚には、相撲の関連書も並ぶ

     長谷山彰・慶應義塾大塾長 他大学に先がけたセンター試験利用入試への参加、そして撤退、またいち早いAO入試の導入など、慶應が独自に入試改革を進めてきたのは、知識量だけでなく思考力なども測れるようにしたいと従来から考えてきたからです。この基本姿勢は今後も変わりなく、さらに時代に合った形に精度を高めていきます。新テストへの対応も、我々の考え方にどこまで合致するかで決めていきたいと思っています。

     慶應4年(=明治元年)に福澤諭吉が「慶應義塾」と命名し、それまでの家塾を近代的な英学塾に転換した時、本学では経済学だけではなく、歴史、究理(物理)、文学、算術、そして修身論と、すでに今日でいうリベラルアーツ教育が行われていました。学問を修め、生業(なりわい)を持ち、世の中の流行に惑わされず主体的に物事を考える「独立自尊」の人材を多く世の中に送り出せば自然に近代化が進むという考え方によっています。総合力のある人材育成の理念は今後も引き継ぎ、その上に何が必要かも考えなくてはなりません。

     現代に起こっている新しい現象の本質を見極める洞察力、解決の道を導き出す創造的な思考、民族や宗教を超えた普遍的な倫理観。こうした力を持つ人材を育成する上でも、建学の理念や総合大学としての個性といったものは失いたくない。総合大学はいろんな学部や研究科がそろうだけではだめで、分野や学部を横断した教育研究ができてこそ価値があります。それをよりはっきりと進めていきます。

    ◆同志社大学学長 松岡敬(まつおか・たかし) 1955年、奈良県生まれ。英サリー大客員研究員、同志社大理工学部教授、同医工学研究センター長、同理工学部長、同副学長などを経て2016年に学長就任。英国時代に紅茶の魅力にはまり、今も毎朝自らいれて楽しんでいる

     松岡敬・同志社大学長 同志社は創立当初より、米国のリベラルアーツ・カレッジの教育システムをベースにしてきましたが、今回の改革は「我々の大学は何を目指し、どんな人材を育てていこうとするのか」を改めて明確に打ち立てる、非常に重要な機会にできうるでしょうね。

     新テストでは記述式試験の是非が議論になっていますが、一般入試の全ての科目で記述式試験を長年採用してきた我々としては、受験生の論理的な思考構成を正確に把握できるというメリットを感じており、記述式自体には賛成です。課題は、新テストでそうした判定がどこまで可能になるかでしょう。今後10年、20年とたつうち、また大きな転換期が訪れてくるはずです。その時に対応できる、長期的な視点に立った入試体系が作られることを望みます。

     --英語の外部試験を利用するなど、私立大入試は複雑化しています。高校の教育現場からは「受験生の負担はむしろ増している」という不安の声が上がっています。

     長谷山 大学のあり方が高校以下の教育に大きな影響を与えている以上、大学改革には高校の意見も取り入れなければ、現場から遊離した内容になってしまいます。入試の議論に関しても、公平・公正な視点から得られた高校側の意見が、十分反映されるべきでしょう。

     英語の外部試験の導入には「そこで測れる能力は、大学が求めるものと一致しているか」という懸念が大学側にあります。TEAPという独自の英語技能試験を英検協会と開発した上智大の例は、その一つの回答ですね。ただ、全ての大学が同様にできるわけではない。しばらくは模索が続くのではないでしょうか。

     鎌田 受験者数が多いセンター試験の改革は、高校教育への影響も大きい。うまくできれば日本の教育全体に好影響を与えるでしょう。しかし、たとえば記述式を取り入れるにしても、思考力や構成力を問うという本来の目的を忘れた小手先のことでは、予備校に対策を取られて、結局みんな同じ文章を書くだけになりかねない。ここは注意が必要です。

    「グローバル化教育」のあり方は

     国際化社会に対応した人材の育成は大学にとっても急務だが、「グローバル化」という、あいまいなイメージが先行して、社会全体の共通の具体像はいまだ描けていない。各大学はグローバル化というキーワードをどうとらえ、どのような人材を育てていくのか。

     --日本の教育制度が一定水準の人材を生み出してきた理由の一つには、自国語での高等教育が可能だったということがあるでしょう。一方、「そのせいで国内でしか通用しない人間ばかり作ってしまった」「国語は捨てて英語教育に注力せよ」という声も出ています。

     長谷山 英語力とプレゼンテーション力さえあればいいわけではありません。あるテーマについて相手ときちんとコミュニケーションを取り、課題を解決したり、結論を出すことが大事なのです。極論すれば、言葉は能力の高い通訳に任せ、知識と課題解決力のある人間同士が突っ込んで議論するほうがいいケースもあるわけです。

     現代は、研究にせよ人材育成にせよ、世界に発信していく時代。その際にはやはり英語での発信が求められます。中世の大学がラテン語を学術共通言語としていたように、ツールとしての英語力を持つことは必要です。しかし、人間がより高度な内容を思考していくには、やはり母語が一番。まずは日本語で深く思考し、それを英語で発信していく。日本語を捨てて英語のみで教育すればすべてが良い方向に行くということは、決してないでしょう。

     鎌田 早稲田は設立当初、全て日本語で教育するのが特色でした。明治期、官学は高級官僚と官営企業の技術者を育て、上から近代化していく考えでした。これに対し、慶應や同志社も含めた当時の私学は、市民社会を確立するために、自立した精神を持った市民を隅々まで配置することを目指しました。そのために、当時の早稲田は外国語習得に要する年数を省くべく日本語で教育しました。ですがその一方で、当時から相当数、卒業直後に海外に留学しています。

     何語であれ、しっかり中身を作り、その中身で世界と交流する。現代を生きる全ての人に普遍的に必要とされる能力を、自分自身で伸ばし続けるための基礎力をどう養うか、これこそが、それぞれの大学が目指していることでしょう。

     松岡 創立当初の経緯から、英学校としてスタートしたため、同志社では語学の習得は必然でした。当時訳語のない専門用語などを外国語で学ぶしかなかった。

     グローバル人材とは、しっかりとした自己の基礎を持ち、知らない土地でのあらゆる経験から吸収ができる人のことです。そのためには、一人一人が「グローバル」というものに対する自分なりの考え方を持つことが重要です。

     また本学には1999年に開設された「日本語・日本文化教育センター」という組織があります。外国人学生はここで日本語を学んだのち、同志社も含めたいろいろな大学に行く。そうした形で、日本語で学び、発信していける人を教育しています。「日本語による教育」自体が、グローバル人材を育てていく上で非常に大きなカギになると思います。

    18歳人口の減少と大学の先行き

     18歳人口は今後15年ほどで20万人減り、いよいよ100万人を切る見通しだ。経営難に追いこまれる大学は3桁に上るという観測もある。こうした中で大学という高等教育機関、特に私立大は、どんな役割を果たしていくべきか。

     --大学進学率が50%として、今より入学者が年間10万人も減る。大学にとっては危機的状況です。

     鎌田 大学進学率は今後も上がっていくと思います。少子化の時代なのに大学が増えているとも言われますが、短期大学が4年制大学に変わっているものが大半で、高等教育機関の総数はあまり変わっていません。

     そもそも18歳から22歳の間しか学問に向き合わないという現状が、世界的にはむしろ特異な話です。学びのあり方自体、人生の中で学校で学ぶ時期と、仕事をする時期が単線でつながるのではなく、海外でいろいろ経験する、また学校に戻ってきて新しい分野に挑戦する……といったことが複雑に絡み合うようになっていきますから、若年者人口が減ることで一気に大学が潰れていくことになるとは限らないと思います。

     とはいえ、全ての人が大学に何回も行くことにはならないはず。高度な人材育成という役割をしっかり果たし、その大学で学ぶ意味を、海外も含めた社会全体から評価される大学は生き残り、そうでない大学は厳しい局面に立たされる。そういうこともあるでしょう。

     松岡 高等教育の存在意義、とりわけ大学院教育がもっと受け入れられるよう、社会全体の意識を変えていくことです。大学院で学んだ人材を積極的に採用する機運がまだまだ足りません。大学4年間だけではなく、むしろ6年や9年というスパンで、その人が身につけた能力が正しく評価されるようにする。社会におけるキャリア観をも変えていくことが必要な時代です。「大学院出は使いにくい」という風潮を変えないとだめなんです。

     そうした高度な学問にチャレンジする意欲ある方々を、今後は海外にもさらに求めたい。日本の大学はこれまで、自分たちの特徴を海外にしっかりと発信し、「日本のこの大学で学びたい」と思わせることができていなかった。日本の大学自身のグローバル化が進んでいなかったわけです。同志社では、2025年の建学150年のタイミングに合わせて、留学生を現在の倍にする計画です。留学生らに日本の学生と交わってもらうことで、日本の素晴らしさ、同志社の素晴らしさを知り、海外に広く伝えてもらいたいと考えています。

     長谷山 少子化なのに大学の数が多すぎると言われますが、高度な教育を受けた人材は、明治時代や1960年代の高度工業化社会の頃よりさらに必要とされているのが現代です。本来なら、社会の工業化が高度に進展し、能力ある人材が大量に必要になった半世紀前の時点で、国公立大の数や定員を増やし、人材育成と高等教育の機会提供を行うべきでした。しかし、それはほとんどなされず、その分を私大が担ってきたわけです。

     私大は自立経営が前提で、しかも門戸開放のためには簡単に学費は上げられない。日本の私大の歴史は、経営難の歴史だったと言えます。私大はそれぞれの建学の理念に沿い、特徴ある教育を行っていますが、それに対する国の評価は、個別の研究水準や教育姿勢ではなく、経営体力などを見る一律的なものばかり。国は大学の多様性、機能分化を標榜(ひょうぼう)しているのですから、評価の面でも、多様な評価基準を考えるべきでしょう。

     鎌田 より良い教育や研究を行いたくても、私大では今のところ授業料以外にさしたる財源がありません。私学助成も学生数に連動していますから、痛みを伴う改革はせず、学生集めに励むことが、経営安定の最善策になってしまっています。これでは新しい時代に対応できる教育・研究施策が、国全体として実現できない。そうした強い危機感を持っています。その意味では、両先生がおっしゃるように、社会全体が私大を支えていく仕組みを整えることが求められていると思いますね。

    大学の「無償化」がはらむもの

     大学を含めた高等教育の無償化について、政府は昨年12月に大枠を閣議決定。今夏までに具体像を策定すべく、有識者会議を発足させた。注目を集める「大学無償化」論議だが、「支給は国が定めた要件を満たす大学の学生に限る」「私立大生への支給額は国公立大生より少なくする」などの点に教育界からも疑問の声がやまない。真の解決策はどこにあるのか。

     --高等教育無償化も含めた、国の教育政策について、現状の認識をお聞かせいただけますか。

     長谷山 誤解がないよう最初にお断りしておきますが、幼児教育や初等教育を実質的に無償化することに異論はありません。それらと同じ次元で高等教育が無償化されると誤解が広まったまま、現在に至っているのが問題なのです。

     大学に限った前提で申しますと、憲法が定める義務教育のような理念で大学教育を無償化することは、日本の大学が全て国立大になるのに等しい。これでは私学の独自性や個性の追求と相反してしまいます。

     そして、私学にとって学費政策というのは重要な経営事項であり、大きな柱です。現在論じられている形で無償化が実現されれば、私学が学費政策の自由度を失い、経営権に影響が及びかねません。

     経済的な困難で高等教育が受けられない学生がいてはならない。しかし、彼らへの支援を国や社会がどのように行っていくかは、全く別の話です。「大学とはどうあるべきか」「大学で学ぶ若者に、どういう支援が必要か」というところからきちんと議論し、国民的な議論の中から結論を出していくべきではないでしょうか。一人の若者が自身の成長のためにより高度な教育を求めて大学に進学したいと希望した時に、国公私立など、入学した大学の設置形態によって支援に差があってはなりません。

     松岡 現在示されている形の高等教育無償化には、さまざまな問題があります。理事会組織にも外部からの理事を入れよとか、国が大学に定めた基準が学生への支給要件になるとか、私学の独自性を失いかねない要素が含まれています。私学の教育理念や、それを信じて真剣に目指してきた学生の意志に、国がNOを出してしまう事態になりかねない。

     ずさんな経営など、問題のある大学には厳しい場面も出てくるでしょう。しかし、私学の存在意義でもある建学の精神や人材育成方針に国が立ち入るようなことには、なってほしくはありません。

     鎌田 欧州では一部の私立大学を除き、伝統的に大学教育は無償です。これら税金で賄われる大学が果たす責任として、入学資格のある人は全員入学させる。しかし日本の場合は逆に、国公立大はごく一握りの人だけを入学させ、大半の人を私大に任せている。なのに、欧州型を前提にした授業料無償化策を導入するのは、なじまないでしょう。

     私大で学ぶ学生やその親に非常に重い負担が課せられている現状を放置したまま国公立大を無償化し、私大は一部を家計に負担させる政策が導入されれば、国公立大と私大の格差を固定化・拡大させます。必要なのはむしろ、今の異常な授業料格差の是正です。私学助成を増やせば、私大もそんなに授業料を高くしなくてもよくなり、一番公平な、全ての学生に対する公的支援になるわけです。その上で、個々の学生の経済的事情や能力に応じた個人補助の仕組みを充実させていくのが、正道ではないでしょうか。

     松岡学長もおっしゃいましたが、ここのところ国が無遠慮に大学に手を突っ込んできている。これはかなり大きな問題なのに、どこの大学も受け身の姿勢を維持して、何も言わない。これも日本の大学の未来を築く上で心配な状況だな、と感じますよ。

     聞き手/毎日新聞大学センター長・中根正義、構成/本誌・中西庸

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