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読書日記

著者のことば 木下光生さん 現代の「病巣」の背景

木下光生・奈良大准教授=大阪市北区で2018年3月5日、加古信志撮影

 ■貧困と自己責任の近世日本史 木下光生(きのした・みつお)さん 人文書院・4104円

     <二一世紀日本は、なぜ、かほどまでに生活困窮者の公的救済に冷たい社会となり、異常なまでに「自己責任」を追及する社会となってしまったのか>

     「現代社会に対する『怒り』が執筆の原点になった」。日本近世史が専門の奈良大教授が、近世日本の村社会を基点に、残された史料を読み解き、さまざまな歴史的考察を試みた。そこから見えてきたのは、「江戸時代の農村は貧しかった」という従来の単一的な歴史観とは異なる事実だ。

     大和国吉野郡田原村(現奈良県宇陀市)で1808年に作成された「去卯年御田畑出来作物書上帳(さるうどしおんでんぱたできさくもつかきあげちょう)」は、村が困窮を理由に代官所に年貢の引き下げを願い出た際の文書。当時の世帯報告書にあたり、「金持ち」から「貧乏人」まで村の全世帯(41軒)の1年間の世帯収入と支出が記されている。

     「村の貧困の複雑さにこそ、現代日本社会が抱える『病巣』の歴史的背景を探る鍵が潜んでいるのでは」。収集した当初は「全く重要視していなかった」というが、自主的な研究会での議論を通じ、この史料の持つ重みに気付いた。ひもといてみると、従来、貧富の差の指標とされてきた持高(もちだか)(石高)と実際の収入(米穀などの生産量)は必ずしもイコールでなく、年貢や借金よりも、飯料(主食費)や造用(個人支出)の方が経済的負担を大きくしていた。

     別の史料からは、夜逃げや物乞いの実像に迫った。近世の村社会が備えた包容力と冷徹さの間に「自己責任観」が幅をきかせていたことを明らかにした。村社会の中では、個別の世帯が負う自己責任と村が公的に負う社会責任との間で「押し付け合い」や「すみ分け」、場合によっては「強烈な困窮者の見放し」があった。

     「江戸時代は相互扶助社会というイメージを持たれがちだが、実際は結構冷たい。我々が自己責任論を批判するとき、政権や財界に矛先を向けがちだが、社会全体が自己責任的発想を良しとしてきた歴史的経緯は見逃せない」と指摘する。その上で、本書が「今、貧困問題と向き合っている人たちに、歴史学の立場から刺激を与えられる存在になれば」と願う。<文・林由紀子/写真・加古信志>

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