毎日新聞
世界遺産「古都奈良の文化財」の一つ「春日山原始林」(奈良市)が、若木の“後継者不足”に陥っている。森を主に構成するカシやシイといった巨木の若木がシカなどの食害で育っていないことが、大きな要因と考えられている。シカをシンボルに自然との共生をPRしている奈良だが、地元の保全団体は「森の目線も加えて100年、200年後を見据えなければ、手遅れになる」と警鐘を鳴らしている。【数野智史】
春日大社(奈良市)付近から、春日山原始林を通って若草山(標高341メートル)頂上まで続く春日山遊歩道。たくさんの巨木がそびえる中、枯れた直径数メートルのカシの真上を見ると穴を開けたように青い空が広がる。「このような場所を『ギャップ』と呼びます。ギャップから光の注ぐ所に何が育っているかを観察すると、次の森がどんな姿になるかが見えてきます」
2014年から保全に取り組む「春日山原始林を未来へつなぐ会」の杉山拓次事務局長に言われて、地表に目を移すと、外来種のナンキンハゼ数本が膝から腰くらいの高さまで伸びていた。シカが食べないため、広範囲で急速に数を増やして森の生態系に変化をもたらしており、将来的に元の姿を維持できない恐れもあるという。
県の許可を受けて森の中に入ると、巨木の周辺やギャップを高さ2メートルほどの保護柵で囲んだ所には、さまざまな種類の植物がうっそうと育っている。専門家らで構成する県の「春日山原始林保全計画検討委員会」が16カ所設置しており、観察を続けたところ大半の箇所で巨木の後継樹が育っていることが確認できたという。
県と連携して活動するつなぐ会だが、今の状況から広大な森を守る活動資金もマンパワーも足りないのが実情だ。そこで啓発に力を入れ、保全の輪を広げようとしている。1月にならまちセンター(奈良市)で開かれた環境問題啓発イベントでは、森に親しんでもらおうと、ドングリや松ぼっくりを使ったアクセサリーを作る子供向けのブースを出展した。
山の巨木が失われれば、土壌の流出や水源の質の変化によって、人間に災いをもたらす可能性がある。県は昨年、奈良公園周辺の農業被害などを受けてシカの駆除を始めたが、それでも「『シカを悪者にして、減らせば解決する』という単純な話ではない。森や野鳥などさまざまな自然に関わる人で環境全体のことを議論する場が必要だ」と杉山さんは語る。私たち市民も便利な生活の向こう側にある問題に目を凝らさなければいけない。
春日山原始林
春日山(御蓋山)は、9世紀ごろに狩猟と伐採が禁止されて以来、春日大社の神山として守られてきた。年中葉を付けているカシやシイといった照葉樹の巨木で主に構成されるほか、温帯性や寒帯性の樹木800種類以上が混生する貴重な森として1924年に国の天然記念物、55年には特別天然記念物に指定され、98年には世界遺産の一部として登録された。広さ約250ヘクタール。