高畑勲さん死去

アニメ表現の可能性、宮崎さんと挑み続け

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宮崎駿氏(左)と高畑勲氏
宮崎駿氏(左)と高畑勲氏

評伝

 日本のアニメーションを世界に知らしめた高畑勲さんが、5日死去した。長編アニメーションの監督作は8本と寡作だったが、いずれも実験性と冒険心にあふれ、盟友の宮崎駿さんと共に、アニメ表現の可能性に挑み続けた。

 宮崎さんと出会った1960年代後半は、日本アニメの成長期。テレビアニメが量産され、高畑さんは宮崎さんと二人三脚で、低予算、短い製作期間という厳しい要求に応えながら、絵や動きの質を高めることに熱中した。85年、スタジオジブリ設立に加わったのも、作りたいアニメを製作する環境を自分たちで整えるため。とはいえ商業性よりも作家として作品の芸術性を追求し、経営には参画しない姿勢を貫いた。

 盟友の宮崎さんとは対照的。原画から手がける宮崎さんに対し、高畑さんは絵を描かず、才能ある仲間を集めて構想を実現させた。作品作りにはじっくりと時間をかけた。巨額の製作費をかけるジブリアニメは、回収のために大ヒットさせなければならない。毎年のようにヒット作を放った宮崎さんに対し、高畑さんは数年に1作。宮崎さんが「ナマケモノの子孫」と皮肉るほどのスローペース。製作費や期日を度外視しても、表現としてのア…

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