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Interview

奥泉光さん(作家) 推理劇の手法で「今」を問う 戦争へ向かう近代緻密に『雪の階』刊行

作家の奥泉光さん=鶴谷真撮影

 作家、奥泉光さんが長大なミステリーロマン『雪の階(きざはし)』(中央公論新社)を著した。エンターテインメント性と純文学性を溶け合わせ、私たちの眼前の現実それ以上にリアルな小説世界を構築し続けてきた名手をして「1日に原稿用紙3枚(1200字)を書くのが限度だった」というほどの、すさまじい濃度と密度をもつ。

        ■  ■

     時は2・26事件(1936年)前夜。「日本の近代化がひとつの頂点を迎えると同時に、戦争に向かっていく。そんな時代を書いてみたかったのです」。主人公は数えで二十歳の美貌の伯爵令嬢・笹宮惟佐子(いさこ)。囲碁や数学、推理小説が好きで、頭脳明晰(めいせき)にして、他人への「共感」がない。だから、惟佐子の周囲で人々や出来事がぐるぐると渦を巻く。惟佐子の父は天皇機関説排撃の急先鋒(せんぽう)にしてヒトラーにほれ込む小物の策士。ある日、惟佐子の親友の寿子(ひさこ)と陸軍の青年将校の遺体が富士の樹海で見つかり、情死と見なされる。

     序盤にして、昭和10(35)年ごろの上流社会と政治世界の享楽的かつ虚無的な空気が読む者を覆い尽くす。「筋や物語が(小説という)建物になるとは僕はあまり考えない。むしろ細部でしょう。ちょっとした描写やせりふの言い回しの集積が読者のイメージを発動します」。本書では、せりふを発するなど小説内で実際に動く人物はすべて架空だ。逆に歴史上実在する人物は小説内では伝聞の中にしか登場しない。

     惟佐子は寿子の死の真相を知ろうと新米カメラマンの千代子に調査を頼む。千代子は知り合いの新聞記者、蔵原とともに寿子の足取りを追い、富士とは方向違いの東北線に乗って日光かいわいを探索する--。このあたりは松本清張ばりの時刻表ミステリー。やがて新興宗教や女性霊能者が登場するに至って、清張の未完の遺作『神々の乱心』のごとき巨大な陰謀が見え隠れし始める。

     ミリ単位を思わせるほどの空間構成の筆の妙は奥泉文学の独壇場ながら、本書では三人称多元視点を採用。さらに一文の中ですら視点が滑らかに移っていく。読む者に視点切り替えの縫い目を感じさせない技は、ちょっと類例のない文章力と言うほかない。「見る者が同時に見られる。だから、例えば千代子と蔵原の思惑のズレを書けるわけです」。ちなみに素人探偵の二人はどちらもおっちょこちょい。死の影の緊張感に満ちた調査行は、実にキュートな恋の道とも重なっていく。

        ■  ■

     さて、本書の真骨頂は現代への痛烈な批評を宿しているところだろう。荒唐無稽(むけい)かつ魔術的な「神人」「獣人」といった血の思想にとりつかれた戦前のエリートあるいは権力者たちの視野の狭さがもたらす害悪を読むと、現在の無邪気な「日本すごい」の風潮を笑えなくなる。「僕たちは2・26事件以降の10年に何が起こったか知っている。でも、この本の中を生きている人は、米国と戦争するなんて全く考えていません」

     だから怖い。国粋主義しか許されない時代へと、空気は一気に変わるのだ。「歴史に学ばないと同じ失敗を繰り返す。昭和の穴ぼこの10年をなかったことにしようとしているのが現政権の最大の問題です」。奥泉さんはそれを小説の中で叫んでいるわけではない。どこか怪物性を宿し、予知能力すらある惟佐子が殺人事件と政治的謀略の謎解きに挑む道のりそのものに、無数の死者たちの声が詰まっているのだ。それこそ、本物の小説だけが持つ力なのだろう。【鶴谷真】

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