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平成の記憶

時代の伝言 国民負担増す一方 支え合える寛容さを NPO法人・高齢社会をよくする女性の会 樋口恵子理事長

樋口恵子さん=根岸基弘撮影

樋口恵子理事長(86)

 長く家族任せだった介護や子育ては、平成になって社会全体で支えるようになった。介護保険制度の創設や待機児童対策の推進だ。

     1978(昭和53)年版厚生白書は、老いた親と子の同居を「福祉における含み資産」と書いた。嫁に老親の世話をさせれば安上がりという発想だ。79(昭和54)年には自民党が「老親の扶養と子どもの保育・しつけは第一義的に家庭の責務」と言い出した。

     この時代、嫁になることがいかに負担が大きいか、女たちは身にしみて感じた。結婚相手として長男を忌避する風潮が生まれた。子持ちの女性の就労を応援する保育所の整備も進まない。日本はあっという間に子どもの産まれない国になった。

     私はこれからの社会を「ファミレス社会」と呼んでいる。家族(ファミリー)が少ない(レス)社会。家族だけの助け合いでは、社会はもたない。

     「介護の社会化」を目標の一つに掲げて私たちの会は83(昭和58)年に発足した。その2年後、政府の文書に介護保険の発想がようやく登場した。首相の諮問機関「社会保障制度審議会」の提言だ。困り果てている国民の声が政府を動かした。

     介護保険制度に対しては、自己負担が増えたり、サービスが引き下げられたりと不満や批判がある。そういう声は上げてほしい。でも、もし介護保険がなかったらどうなっていたか。

     平成は、経済の面でみれば「失われた20年」なのだろうが、別の顔もある。介護保険法成立(97年=平成9年)の1年後には特定非営利活動促進法(NPO法)、2年後には男女共同参画社会基本法と地方分権一括法が成立した。市区町村が担う介護保険は、「地方分権の試金石」と言われた。NPOは福祉の重要な担い手だ。超高齢社会を迎えた日本の土台の、そのまた基礎ができた。

     実現できたのは、この時期に社会に寛容さがあったからだと思う。自民党と社会党、自民党と公明党が連立し、保守が一定の包容力を持ったことが大きい。

     社会保障は寛容と他者への関心がなければ成り立たない。自分のできることで地域の困っている人を支える。それができる仕組みを行政が用意する。安心できる社会をつくるには、税金や保険料だけではなく、寛容とか他者への関心とか精神的支払いを惜しまずにすることが大事なのではないか。【聞き手 医療福祉部副部長・鈴木直】

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