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「新芸」とその時代

(38)ソ連の仕事Ⅰ 接近の糸口

1964年に新芸術家協会がソ連から招請したヴァイオリニスト、ボリス・グトニコフの公演プログラム(筆者蔵)。62年に続く2度目の招請で、全8回の公演のうち東京の2回は毎日新聞社と新芸の主催。残り6回のうち5回は各地の労音の主催

まずは東欧圏

 1960年から「呼び屋」として海外の音楽家の招請を始めた新芸術家協会の最初のピークは、70年の大阪万博の年に訪れた。歌手、管弦楽、裏方などを含め総勢400人が来日した「ボリショイ・オペラ」、「幻のピアニスト」としてさまざまな団体が招請を競ったスヴャトスラフ・リヒテル、レニングラード・フィルハーモニー交響楽団(指揮者ムラヴィンスキーは直前で来日中止)といった、ソ連を代表する音楽家・団体のマネジメントを一手に手がけて存在感を示した。以後、81年の倒産の年まで、ソ連関連の仕事は新芸を支える太い柱であり続けた。当時のソ連では、文化省下の「ゴスコンツェルト」(国家音楽公団)が音楽家のマネジメントを行っていたが、新芸の創業者、西岡芳和がどのようなルートでソ連側と接触し、「大物」を任されるまでの信頼を勝ち得ることができたのだろうか。

    国際プロモーターとして多数の興行を手がけた神彰(左)。62年に作家の有吉佐和子(右)と結婚したが、64年に離婚。73年には「北の家族」を創業し、居酒屋チェーンのブームを起こしている=62年4月撮影

     「ソ連もの」を得意とした昭和の興行師といえば、筆頭に挙げられるのは神彰(じん・あきら、1922~98年)だろう。くしくも西岡と同年の生まれで同じ北海道出身。画家志望で興行はまったくの素人であった神は55年、アメリカへ亡命したロシア人による「ドン・コザック合唱団」招請をにわかに思い立ち「アート・フレンド・アソシエーション」(AFA)を設立。56年に招請を実現させる。その後はソ連関係に焦点を絞り、ボリショイ・バレエ団、レニングラード・フィル、モスクワ国立ボリショイサーカスなどの興行を次々と手がけ「赤い呼び屋」と呼ばれた。

     新芸が最初にソ連のアーティストを呼んだのは62年、ヴァイオリニストのボリス・グトニコフ(1931~86年)であった。57年ロン・ティボー国際コンクール優勝、62年チャイコフスキー国際コンクール優勝の新鋭で、初来日は大いに注目を集めたようだ。しかしその後が続かなかった。神のAFAが64年に倒産するまでは、ソ連関係の興行の多くはAFAが手がけ、新芸の食い込む余地がなかったのだろう。このころの新芸の仕事は、得意としたウィーンの演奏家以外では、アダム・ハラシェヴィチ(ピアノ)、アントニン・モラヴェッツ(ヴァイオリン)、スーク・トリオ、ハンガリー弦楽四重奏団など東欧圏の演奏家の公演が目立つ。

     63年、新芸が最初に招請したオーケストラも「ポーランド国立大交響楽団」(Poland National Great Radio Orchestra)で、地方都市カトヴィツェの放送局のラジオオーケストラだった。指揮者はヤン・クレンツ、イエージ・カトレヴィチ、ピアノ独奏はバーバラ・ヘッセ・ブコウスカ。共催には毎日新聞社も名を連ね、前触れ記事では62年に現地で指揮をした岩城宏之が「まちがいなく世界のA級の交響楽団である」と絶賛(63年1月16日付)。またポーランドの作曲家クシシュトフ・ペンデレツキ(1933年生まれ)の「広島の犠牲への哀歌」がプログラムに取り上げられたことも話題になった。

    ソ連のアーティストとの接点

     62年のグトニコフ招請以前に2件、新芸が関わっているソ連関連の公演情報が当時の音楽新聞に掲載されていた。いずれもボリショイ劇場専属歌手で60年10月に行われたタマーラ・サローキナ独唱会、61年5月のアルトゥール・エイゼン独唱会である。ソ連から招請したのは全国労音(全国勤労者音楽協議会)で、新芸は前者の公演では協賛、後者は東京労音と並ぶ主催者として関わっている。

     本連載第19回で紹介したが、最盛期には全国で約65万人の会員数を誇った労音と新芸の関係は長く深い。新芸設立時の「社員第一号」の中に、東京労音の母体の組織の中心人物であった諸井昭二がおり、新芸躍進の過程で重要な役割を担った社員、中筋栄一は大阪労音から引き抜かれた人物であった。また、西岡は50年代から団伊玖磨の歌劇「夕鶴」や、新芸関係の演奏家の公演を労音に「企画提供」し、新芸発展の足がかりとなった。

     この労音とソ連の関係も深い。全国労音は58年から国際文化交流を開始。61年9~10月にはさらなる拡大・発展を促進するために、労音代表団がソ連・東欧を訪問。代表団の中には、西岡と親しい人物がいた。

    在日ソ連大使館の記録

     日ソ文化交流史に詳しい愛知県立大の半谷史郎准教授への取材で、半谷がロシアで調査した文書の中に、新芸とソ連側の接触に関する貴重な情報が記されていたことがわかった。

     いずれも在日ソ連大使館が本国に送付した文書で、半谷の日本語訳に基づき紹介したい。一つは61年。N響の指揮者で新芸の所属でもあった岩城宏之に関するものだ。2月28日、岩城と西岡が大使館を訪問。3月にウィーンとミュンヘンへ出発するが、4月末に2カ月から2カ月半のソ連訪問ができないかとの相談だった。ソ連文化省との交渉は西岡が行うこととし、提示予定の条件は、ウィーン~モスクワ~ウィーンの飛行機代及びソ連滞在費をソ連側が負担。その代わりギャラは要求しない、というものだった。ここに労音書記長のマキノ(前述の労音代表団の一人で全国労音事務局長の牧野弘之と思われる)が同席し、労音は岩城のソ連公演を支持すると述べたという。岩城は60年のN響世界一周演奏旅行でソ連を訪れており、半谷によれば、この文書には駐日大使のフェドレンコが岩城のソ連公演を支持する旨の注記もあり、「岩城の要望により、彼の訪問を1962年に計画」との手書きの書き込みもあったという。

    指揮者の岩城宏之は1960年のN響世界一周演奏旅行に同行して以降、海外に活動の場を広げた。写真はハンガリーでブダペスト国立フィルハーモニー交響楽団を指揮する岩城=63年12月撮影

     岩城の62年ソ連公演は実現し、約1カ月間モスクワをはじめオデッサ、キエフ、レニングラードなどで指揮(岩城宏之「回転扉のむこう側」)。当初の希望より1年遅れではあったが、西岡の交渉は成功したようだ。

     62年4月に駐日大使館員が作成した、ソ連のアーティストの日本公演を手がけている団体に関する報告書には、労音、AFA、本間興業、日本国際芸術センター、新芸、日ソ協会、新聞・放送局に関する評価が記されている。AFAについては「最大の招聘(しょうへい)元。唯一法人格を持つ。日本外務省や文部省の支持も得ている。ソ連とは数年におよぶ関係がある。このルートで大きな団体を派遣し、このパイプはさらに発展させるべきだ」と高く評価している。

     一方新興勢力の新芸についての評価はなかなかシビアだ。

     「日本共産党とも関係、労音書記長マキノとは友人(このため労音の行事を手伝ったこともある)。最も力を入れているのは、ポーランドとチェコ。両国大使館の彼に対する評判は良好。彼のルートで日本に2~3人の個人演奏家を派遣するのが良い。62年には初めての彼のルートによる招聘(グトニコフ)を予定。財政基盤は弱い。音楽家の間での知名度は低い」。ちなみに若き日の西岡は「戦争中からかぶれて」共産党員として活動、警察にマークされたこともあったようだ。

     この後、新芸が招請したソ連アーティストは64年にディミトリー・バシキーロフ(ピアノ)、ボリス・グトニコフ(ヴァイオリン)、65年はムスティスラフ・ロストロポーヴィチ(チェロ)、66年ボロディン弦楽四重奏団、モスクワ室内オーケストラ(指揮=ルドルフ・バルシャイ)、67年モスクワ国立フィルハーモニー交響楽団(指揮=キリル・コンドラシン、ヴァイオリン=ダヴィッド・オイストラフ、イーゴリ・オイストラフ)、68年ソビエト国立交響楽団(指揮=エフゲニー・スヴェトラーノフ、マキシム・ショスタコ-ヴィチ、ヴァイオリン=レオニード・コーガン、ピアノ=グリゴリー・ソコロフほか)と続く。64年のAFA倒産後、新芸がソ連側の信頼をかち得て、徐々に「大物」を任されていった過程が見てとれる。

     西岡=新芸がどのようにソ連に食い込んでいったかはこれまで明確な資料がなく、「西岡は神彰の弟子」といった伝説に近い話も伝わっている。そんな中で、今回紹介したソ連側の資料によって判明した事柄は、冷戦期の日ソ文化交流、日本の興行史を考える上でも興味深い。                      (文中敬称略)【野宮珠里】

    ※隔週土曜日掲載。次回は5月26日の予定です。

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