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希望新聞

東日本大震災 加須に生きる/上 もう逃げたくない 福島から埼玉、葛藤越えた13歳

ランニングに出発する小畑大地さん(右)。母明美さんが「気をつけて」と声を掛けた=埼玉県加須市で2月18日

 「僕、福島に戻りたくない」。東京電力福島第1原発事故による影響が続いていた2013年秋、福島県双葉町から埼玉県加須市に避難を強いられていた当時9歳の小畑大地さん(13)は、目に涙をためながら訴えた。

     母明美さんと父一彦さんが、一人息子へのいじめに気づき、幾日も悩んだ末、祖父母が戻った福島県いわき市に「みんなで住もう」と語りかけたときのことだ。2人にとっては予想外の反応だった。大地さんは続けた。「今、福島に帰ったら、逃げることになる。もう、逃げたくないんだ」

         ◇

     東日本大震災と原発事故は、幼稚園の卒園式の直前に起きた。買ってもらったばかりのランドセルや文房具を自宅に置いたまま、着の身着のまま両親に手を引かれ、福島県内外の避難所を10カ所以上転々とした。どこに行っても大人たちの殺気だった表情が怖くて、下ばかり向いていた。

     町役場ごと避難した加須市の廃校校舎にたどりつくと、ようやく笑顔が戻った。大半の町民が身を寄せ合っていて、見知った顔があちこちにあったからだろう。町の小学校に入学予定だった同じ幼稚園の友達20人全員もいた。うれしくて、周囲の大人に注意されても、かくれんぼやおにごっこをして走り回った。それを許してくれる空気も感じた。「みんなでする苦労は苦労じゃないのかも」。子供心にそう思った。

     新1年生からスタートできたのも幸いだった。地元の子どもたちと一緒に入学したから、「転校生」であることを意識せずにすんだ。自然な形で加須の生活になじんでいった。

     楽しい日々に影が差し始めたのは、福島県から派遣された教諭や職員による学校訪問だった。町の子どもたちは教室で名前を呼ばれ、ノートや文房具などを手渡されたり、町の話題が掲載された新聞などを配られたりすることがあった。

     第1原発が立地する双葉町のほとんどは、空間放射線量が最も高い帰還困難区域に指定され、避難生活がいつまで続くのか見通せない。そんな不自由な生活をおもんぱかり、励まそうとしたものだったが、それらは「特別扱い」に映り、「加須の子ではない」ことを意識させた。地元のクラスメートたちとの間に隙間(すきま)風が吹き始めた。

     3年生の秋だった。腕に擦り傷を負って帰宅したとき、一彦さんが「いじめられたのか?」と聞いた。「大丈夫だよ」と答えた瞬間、父の顔色がさっと変わった。「そんなんじゃない」と言い直したが、遅かった。

         ◇

     今春、加須市立中の2年生になった大地さんは、休日もランニングに励む陸上部員。人生の多感な季節に、「加須の子」か「双葉の子」かという葛藤を踏み越え、「選ばずに」加須で生きてゆこうと決めた。その7年にわたる心の軌跡を追った。【栗田慎一】=6月につづく

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