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若松孝二とその時代

(1)白石和彌さんインタビュー/上 若松孝二の原点と魅力に迫る

若松孝二さん

 2012年10月17日に若松孝二監督が突然の事故で逝ってから5年半余りがたった。「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)」「キャタピラー」「水のないプール」「天使の恍惚(こうこつ)」「赤軍-PFLP・世界戦争宣言」「処女ゲバゲバ」「犯された白衣」など、日本映画史に残る傑作、問題作を数多く残した鬼才の死を惜しむ声は今も少なくない。

 昨年、若松監督が率いてきた若松プロダクションに、そのDNAを受け継いできた映画関係者が結集し、新たな映画製作が始まった。タイトルは「止められるか、俺たちを」(10月、東京・テアトル新宿ほか全国順次公開予定)。舞台は1969年。政治や社会の激動の時代に、若松プロの門をたたいた一人の女性助監督の目を通して、若松孝二と共に時代を駆けぬけた人たちの生きざまや輝き、青春群像をスクリーンに焼き付けた作品だ。主演の女性助監督・吉積めぐみ役に門脇麦、若松役に井浦新(あらた)。

 「映画を武器に世界と闘う」「日本映画界をブチ壊す」と半世紀にわたって、体制への怒りと反抗心を抱き続けた若松監督がこの国にもの申し、時代を撃ち続けた力の源泉とは何だったのか。ゆかりの深かった関係者へのインタビューなどから、にんげん・若松孝二の原点と魅力に迫る。

白石和彌監督作品「止められるか、俺たちを」の一場面

 第1回は愛弟子の一人、「止められるか、俺たちを」製作の呼びかけ人で監督も務めた白石和彌監督が登場。「凶悪」「牝猫たち」「孤狼の血」など現代の日本映画界で最も刺激的な作風で知られる気鋭の監督が本作へ懸けた熱い思いや若松の素顔などを縦横に語る。【鈴木隆】

白石和彌監督=鈴木隆撮影

「吉積めぐみ」という助監督がいた

 --この作品を撮るきっかけと経緯は?

 白石 若松監督の生誕80周年を記念する特別上映会が16年3月26日に東京・東中野のポレポレ東中野でありました。その時は、秋山道男(オバケ)さん、小水一男(ガイラ)さん、足立正生さん、高間賢治さんらそうそうたる若松プロのOBメンバーがそろい、トークショーでは昔の若松プロの話で盛り上がりました。

 こうしたレジェンド(伝説の人)たちの話は明らかに、圧倒的に面白くて僕も壇上でゲラゲラ笑いながら聞いていました。終わった後に打ち上げがあり、足立さんたちが助監督や脚本を書き、高間さんが(撮影)助手をしているころに、1人の女性助監督がいたと聞き、「写真集を作ったので後から送るよ」と、高間さんに言われました。

 その写真集が自宅に届いたのが4月1日。ちょうど若松さんの誕生日でした。開いてみて、「アッ」と思ったんです……というのも、昔の若松プロの事務所の棚に、その助監督・吉積めぐみさんの写真があったんです。「この女性誰だろう」と当時聞いたら、若松さんが「昔ウチにいて事故で亡くなった助監督さんだ」と言っていたのを思い出し、写真集のめぐみさんとつながったんです。簡単なプロフィルが書いてあり、それを見て衝撃を受けたんです。めぐみさんは69年3月に若松プロに入り、「女学生ゲリラ」と「処女ゲバゲバ」の2本同時撮りをしたときから、助監督を始めていたんです。そして、71年9月12日に亡くなっています。

 その3年間の若松プロの作品群は傑作ぞろいなんです。亡くなったタイミングも、若松さんと足立さんがパレスチナで撮ってきた映像を編集したドキュメンタリー映画「赤軍-PFLP・世界戦争宣言」のころ、赤バスで全国を回る上映運動の直前だったんです。直感でしたが、もしかしたら、めぐみさんを主人公にした映画を、と少し思ったんですね。

ものすごい熱量を発した若松さんを体験したくなった

 若松さんは、晩年になって「実録・連合赤軍」以降、製作・公開が目白押しだった。快進撃が続く中で、よく舞台あいさつの中で「昔の若者たちは日本を良くしようと頑張っていたんだよ」って言っていたじゃないですか。お前らは何なんだ、みたいに挑発的に話していました。足立さんや秋山さんたちの話を聞き、めぐみさんの3年間をたどって、学生運動をしていた人や、三島由紀夫みたいに(自分たちとは)思想は違っていても一生懸命に日本を何とかしたいと思っている人がいた時代でした。若松孝二も若松プロもすごく頑張っていたんだと思いました。

 若松さんは、俺たちも頑張ったなんて言ったことは一度もなかったけれど、何か今、自分が監督になってできていることと、当時の若松さんたちの熱量を考えると、いてもたってもいられなくなって、青年のころの若松さんを、僕自身が見たくなったんです。それを体験したかった、というのが最も大きかったし、同時にいろんな要素のタイミングが組み合わさった。これが、この作品をやりたいと思った最初の理由なんです。

 それと、若松プロの規模は小さいけれど、僕にとっては英雄譚(たん)なんですね。若松プロこそが梁山泊だったんです。生誕80周年が転機になって、若松さんを撮ろうなんて、それまでは思ってもみなかったんですけど。

 --現代に若松さんに関する映画を製作する意味は何でしょうか。

 白石 僕個人のことで言うと、若松さんが生きているときに「凶悪」から見てもらっていないし、東映で「孤狼の血」というビッグバジェット(大予算)の作品を撮らせてもらいましたが、そもそも若松プロ出身のインディーズ(独立系)の作家なんです。このタイミングで、自分の監督としての立ち位置とか、何が監督としてしたいのか……。若松さんの初期を含めた映画作りを思うにつけ、今の日本の映画作りの現状は、いつの時代も違いますが、若松さんの作品の自由さは何だろうかと思います。今の閉鎖的な表現の限界とかと全然違うところで、若松さんは映画作りをしていた。それをもう一回見てみたいと思ったんです。

 当時、69、70年のころ、安保闘争における政治的敗北の時期と今の政治状況が近い部分があるのではと思いました。当時、若松さんは映画作りを通して政治や社会に刃向かっていきました。若松さんだけでなく、当時の作家は皆、時代や社会に危機感を持って映画を作っていました。それが今は映画に政治を入れない非常に器用なやり方で映画を連発している。何かこれでいいのかと、僕自身が確認したかった。もちろん世間に問うてみたかったし、若い人に映画作りって、そもそもこういうことなんだと提示したかった。

「めぐみさんは僕らと同じ」 素直に撮れた

 --レジェンドたちの反応は? 映画化への条件はありましたか。

 白石 全員、全面的に協力してくれる姿勢でした。「その代わり面白いものを作れ」と言われました。自分たちの青春時代の話だから気分を悪くする人はいないと思いましたが、こちらもリスペクト(尊敬)はしているけど、持ち上げるつもりはありません。当時の若松プロが毎日、エネルギーを発散させているところが魅力的だと思いました。

 皆さん、「若松はひどいやつだし暴力的だったからヒーローにするな」「聖人君子にするなよ」と口をそろえて言われました。映画化には、関係する皆さんの同意が必要でした。一人でもやめろと言われたら、本当にやめようと思っていましたから。

 もう一つの条件は、若松さんを井浦新さんがやること。「かっこよすぎる」という意見もありました。実際その通りですが、晩年の若松さんの映画を支え、快進撃をした背景として、新さんが推進力になっていました。もし新さんからやらないと言われたら、中止にしようと考えていました。でも断る理由はないし、絶対やるとは思っていましたけどね。他の人に若松さんの役をやられてしまったら、新さんは絶対に怒ると思っていました。これ、反則に近いですね。後で新さんに聞いたら、同じことを本人も言っていましたよ。

 --ストーリーはすぐにできあがりましたか。

 白石 若松さんを主人公にした方がよいのではとか、1、2回揺らいだことはありましたが、めぐみさんを主人公にした方がシンプルな青春映画になる。ただ、最後に死があるので青春映画としては少しビターになりすぎる、とも考えました。めぐみという女性が若松プロにやってきて、ピンク映画の仕事を覚えていくが、挫折も経験する話です。女性がピンク映画をしながら、若松さんに怒られて仕事をしていたと……僕らも若松プロで同じように怒られて掃除の仕方から、箸の持ち方まで(指示された)。結局は、めぐみさんは僕ら(と同じ)なんです。僕らの視点で描けばいいんだと、途中から気づいて、それで素直に撮れるようになりました。めぐみさんを僕らにしないとダメだと思ったんです。

感じる芯の強さ ちょっとやそっとでは揺るがない

 --撮影が終わって考えたことは。

 白石 若松さん、こんなふうに50年近くやっていたんですね。しかも、映画で描いた3年間は、プロデューサー作品を入れると、さらにすごい本数になる。ピンク映画とはいえ、ものすごいエネルギーだったと思います。監督としての体力とか、映画人としての体力とか、プロダクション経営力とか、いろんなものの磁力が根本的に違う存在だと思います。日本の映画史に足跡を残しているだけのことはありますね。あまり言い過ぎると、レジェンドたちから怒られちゃいますけど。(現代とは)何か根本的な違いを感じます。世間とか権力、メジャー映画に対しても闘っていました。ピンク映画だったから、底辺だったからこそ闘えた、ということもあるでしょう。

 今はいい意味で底辺はない。サークル活動みたいなものが映画になっちゃっていますが、若松さんはプロでした。スタートから、どんなときもプロフェッショナルでした。何ごとにも負けない力強さを感じます。「壁の中の秘事」の公開時だって、確か30歳ぐらいでした。この作品、独ベルリン国際映画祭に出品されたことで、「国辱」と言われて批評家やマスコミからたたかれた。今風に言えば「炎上」しました。でも、それを糧にして闘ってきた。

 モルモット吉田さんという映画評論家の本によると、若松さんは当時「涙が出るほど悔しい」と言い、「作品を作る思いは大作だろうとピンクだろうと変わらないはずだ」と。作家としての芯の強さを感じさせます。そうした強さが蓄積されて魅力になっていく。ちょっとやそっとでは揺るがない力ですね。=つづく(次回は6月3日掲載予定)

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