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若松孝二とその時代

(2)白石和彌さんインタビュー/下 愛弟子が見た若松監督の知られざる素顔

ありし日の若松孝二監督

「止められるか、俺たちを」監督に聞く

 若松孝二監督の遺志を受け継いできた映画関係者らが製作した映画「止められるか、俺たちを」が10月、東京・テアトル新宿ほか全国で順次公開される。連載企画「若松孝二とその時代」第2回も、本作の呼びかけ人であり、監督も務めた白石和彌さんへのインタビュー(後半)をお届けする。若松孝二とはどんな人物だったのか、なぜ映画を目指す若者たちを魅了したのか。愛弟子の一人だった白石監督が見た若松監督の知られざる素顔を活写する。【鈴木隆】

「俺、ヤクザになるんだ」と思った

 --若松監督との出会いは。

 白石 中村幻児監督が主宰する映像クリエーターの育成組織「映像塾」に通っていて、その顧問が深作欣二監督と若松監督でした。若松さんは半年に1回程度教えに来ていました。そのころ、若松プロダクションで佐野史郎さん出演の「標的 羊たちの哀(かな)しみ」という映画の助監督を探していたので、すぐに「やりたいです」と手を挙げました。1996年の1月か2月だったと思います。

 --その当時、若松監督に対してどんなイメージを持っていましたか。

 白石 俺、ヤクザになるんだな、みたいな気持ちですよ(笑い)。過激派になるのかな、とも思っていました。

 --若松プロはどんなところでしたか。

 白石 若松監督の映画は見ていたし本も読んでいましたが、若松プロに行ってみたらびっくりするくらい事務所が小さくて、先輩の大日方教史さん(「止められるか、俺たちを」プロデューサー)に教えてもらいながら、撮影場所を探したり、いろんな雑用をしたりしていました。(怖いと聞いていたので)毎日怒られるのかと思っていたんですが、若松監督は来たばかりの人はあまり怒らない。わりと丁寧に扱われていました。でも、1週間くらいすると変わりました。

 「標的」の現場に入るまでに、撮影の時にカメラの前で鳴らす「カチンコを作っておけ」と言われて、東急ハンズで材料を買って家で作ったんです。撮影初日に「用意、スタート!」とやったら、板が外れて「こんなオモチャ、持って来やがって。出てけっ! 俺の前に顔見せるな」って怒鳴られたのが最初でした。帰るわけにいかず、現場で何度も怒られて、「俺は終わったんだなあ」と思いました。そうしたら「早く事務所に来い」と電話があって、「すし食いに行くぞ」……。その後は「どういう映画を撮りたいんだ」「自分の表現するものを見つけないとダメだぞ」と。そんな時は先生になるんですよね。

若松孝二監督の知られざる素顔を振り返る白石和彌監督=鈴木隆撮影

 当時は20歳くらい。そんな調子にコロッとやられるんです。それまで、そういう大人にあまり会ったことがなかったから。(「止められるか、俺たちを」主人公の吉積)めぐみさんも同じだと思いますよ、お前見どころあるから毎日来い、なんて言われてね……。

 --そのころの生活は?

 白石 ギャラも少しは出ました。ただ、作品がない時はお金が出ないので、夜中のアルバイトをやって、昼ごろ若松プロに来ていました。いろんな人が出入りして、本もたくさんありました。少し偏ってはいたけれど、知識を入れる時間はあった。過去の若松作品を見たり、本を読んだりして、暇な時間はありませんでした。若松さんは料理をしたりワイドショーを見たりするのが大好きでしたね。

 そのうち、若松プロの作品ではありませんが、別の(映画の)仕事を始めました。若松プロにいたのは2年間ぐらい。ただ、若松さんが映画を撮る時は戻ってきました。「今何をやっているんだ」とかよく聞かれたし、自分のベースにあるのは若松プロ、という意識でした。ほかの監督の現場でも「若松プロにいる」って言うと、普通の助監督と違う見方をされていた気がします。居心地は良かったです。

 若松さんは「夜イベントがあるから来い」「鍋をやるから来い」と言ってくれました。他の人も同じだと思いますが、若松さんとの距離がだんだん近くなって、師匠から父親化していったんです。事務所にはソファやベッド、台所があって、一緒に生活している感覚がありました。

腹のくくり方を教わった

 --若松さんの考え方が自然に身についていったと?

 白石 そうですね、20歳くらいですから……考え方が偏ったとしても、そうならざるを得ない。「止められるか、俺たちを」で描かれた1960~70年代は、若松さんが大島渚監督や(若松さんの映画の脚本を多く書いた)足立正生さんたちからいろいろ教えてもらっている時期でもあるんです。若松さんは分からないことは、僕らにでも当たり前に聞きます。弟子とかでも全然恥ずかしくない。若い人の意見をよく聞いていました。とても貪欲なんです。

 何でも受け入れるのは若松さんの大きな強みです。生涯、映画を撮り続けることができた大きな理由の一つといってもいい。若松プロに毎日足を運ばなくなってからも、亡くなるまで定期的に顔を出していました。「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)」の時には出演者のオーディションも手伝いました。

 --監督として、個人として、どんな影響を受けましたか。

 白石 「表現者は、権力の側から描かない」「底辺からものを見る」など、たくさんあります。監督になった今も、企画を選ぶ時などこうしたことは常に考えています。それと、いざという時の腹のくくり方ですね。足立さんに聞いたら「若松はあまり人を殴らなかった」と話していました。もっとケンカしていそうに見えますが、僕も見たことはない。大人のケンカの仕方を知っているんです。ケンカするのは、上の人とか力のある人。自分より弱い人とはしない。浪曲というか、演歌の世界というか、庶民の人が喜びそうなケンカの仕方です。だから、みんな若松さんのところに集まってくるんじゃないでしょうか。

 若松さんの映画は、基本的に虐げられた人が復讐(ふくしゅう)する話が多いんですよ。困ると、あえてそういうネタを入れて失敗したこともあった。とんでもない傑作も多いけれど、撮り方がせっかちで淡泊だから失敗も多い。肌感覚で「このぐらいでいいだろう」って撮っちゃうんでしょうね。でも、ダメとも言えない。その勢いが若松映画と密接に関係していて、映画のエネルギーに変換されるんですよ。僕もマネしてみたことがあるんですが、絶対にうまくいかない。独特なんです。

 60、70年代からロケ場所とか俳優の起用の仕方などいろんな場面で、映画への嗅覚を発揮していたと思います。その嗅覚が「連合赤軍」以降、研ぎ澄まされていきました。しかも、マネジメント能力が高く、大きいところでバクチが打てる人なんですね。日々負けても大きいところで張れる。今の時代、映画でバクチを打てる人がいないから、僕から見たら、ちゃんとした映画が少ないんです。

ダメなやつでも受け入れた……弱者へのまなざし

 --本作を撮る中でずっと考えていたことがあるそうですね。

「止められるか、俺たちを」の撮影風景(中央が白石和彌監督、左端が若松孝二監督役の井浦新さん、2017年9月)=鈴木隆撮影

 白石 はい、とても大切なことです。若松プロ出身のレジェンドたちは映画界で成功した人もいる。同時に僕らの周りには同じような志のもとに若松プロに来て辞めざるを得なかった人、“敗北”していった人がその何倍もいる。この映画は若松プロだけの話ではなく、辞めていった人の話でもあるんです。主人公の吉積めぐみさんの話はまさにそうです。僕も一歩間違えれば同じように監督になっていなかったかもしれないという思いは、今でもあります。だから、辞めていったからといって、ダメな人生だったとは決してしたくなかった。

 又吉直樹さんの小説「火花」で、「俺たちは漫才師として売れなかったけれど、一度でも舞台に立ったら、その舞台を見たほかの漫才師は少なからず影響を受けている。ほかの漫才師は別の漫才師に影響を与えている。そうやって、ずっと影響を与え続けている」という描写があります。超優しいセリフなんですよ。めぐみさんも同じ(文脈)なんです。「女学生ゲリラ」という作品で若松プロに関わった瞬間から、女優をどこからか連れてきたり、小道具を持ってきたりとか、若松映画に「影響」を与えている。それを見た僕たちがまた映画を作っている。

 若くして亡くなって「残念な人生」だと感じる人もいるかもしれないけど、彼女が若松プロで映画を作ったことは今後もずっと「影響」を与え続けていく、絶対に。彼女の人生は輝いていたと思うんです。少しでも、それを形にしたいという思いがありました。

 若松さんの無類の優しさって、そこにつながっている気がします。辞めた人を「あいつはダメだ」と言うことはあるけれど、根本的には否定していない。ダメなやつでも受け入れていました。多分、若松さんぐらいなら、1日事務所にいて様子を見たら使えるか、向いていないか絶対に分かる。でも、すぐには否定しなかった。根本的な優しさがありました。それが今回の映画に出せたらいいなと思っています。この話をすると、すぐに泣きそうになっちゃうんですよ。

 --その優しさはどこからくるんでしょうか。

 白石 若松さんは自分を天才だと思っていなかったし、底辺からはい上がって来た人間だと分かっていました。いろいろな人に教えられながら、弱い人たち、虐げられた人たちの気持ちを知っていったんじゃないでしょうか。常に弱者の味方でしたよ。

 負けゆく人たちが全て敗北者ではない、というのは、この映画の表だったテーマではないけれど、忘れてはいけないことだと思います。辞めていった人に教えられたこともたくさんありました。そう影響しあって人は生きてるんですね。1回つまずいたからってダメじゃない。若い俳優がトラブルを起こして批判された時も、若松さんはすぐに起用しました。僕もそういうことは意識して見習うつもりです。

(次回は6月17日掲載予定)

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