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旧優生保護法を問う

旧優生保護法下で不妊手術を強制された障害者らの記録に関する毎日新聞の全国調査で、強制手術を受けた人の約8割に当たる1万2879人の資料が確認できなくなっていることが判明した。「記録のない被害者」をどう特定し、救済につなげるか。

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科学の名の下に・旧優生保護法を問う

/3 産科医主導で「選別」

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 「当時は優生思想を反映した法律があり、産婦人科医は、法に基づき国や親の要望に応えた」。日本産婦人科医会の木下勝之会長(77)が振り返る。同会は、旧優生保護法が施行された翌年の1949年に設立され、優生保護行政を後押しした日本母性保護医協会(日母)が前身だ。

      ◇

 旧法は議員立法で成立した。提案したのは、参院議員の谷口弥三郎氏や衆院議員の太田典礼氏(いずれも故人)ら産婦人科医だった。谷口氏が死去した後の63年に発行された業界誌には「思いやりの行き届いた」「理想を抱き邁進(まいしん)した」など故人をしのぶ記事が並ぶ。

 一方で谷口氏は、障害者らへの差別的表現を繰り返した。48年11月の参院厚生委員会。「浮浪者とかごく下の階級、乞食みたようなもの(議事録のまま)」にも「どしどし保健所の医師が申請して(略)不良分子の出生を防止する」よう厚相に強制不妊の推進を求め、対象を遺伝性以外の「精神病」「精神薄弱」(当時の病名)に広げた52年の法改正でも中心的役割を担った。反対意見も国会議事録上は皆無で、社会的な反発もなかった…

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