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朝鮮戦争

「戦死」の弟、孫たちに語りたい…90歳兄

機雷掃海船の乗組員だった弟坂太郎さんの遺影の前で話す中谷藤市さん=大阪市浪速区で2018年6月5日、山田尚弘撮影

 12日にシンガポールで開かれる史上初の米朝首脳会談では、朝鮮戦争(1950~53年)の終戦に向けた言及があるか注目されている。当時、米軍を支援する機雷掃海作業に加わり「戦死」した中谷坂太郎さん(当時21歳)の兄藤市さん(90)=大阪市浪速区=は会談を機に、弟の生涯について孫やひ孫たちに初めて直接語ることにした。「終戦の動きは一つの区切り。弟を供養する意味でも、知っていることをきちんと伝えたい」と話す。

 2人は瀬戸内海に浮かぶ周防大島(山口県)の出身。藤市さんによると、坂太郎さんは高い木によじ登って鳥の巣からヒナを取り出し、自宅で育てるなど活発な少年だったという。「彼は大変な豪傑でして。兄弟げんかをしても、年上の僕が泣かされることもあったなあ」と懐かしむ。

 坂太郎さんは戦後、海上保安庁の職員となり、太平洋戦争中に瀬戸内海に仕掛けられた機雷の掃海作業に就いていた。朝鮮戦争が起きると、米国の意向で日本政府が秘密裏に編成した「日本特別掃海隊」のメンバーとして朝鮮半島の近海へ。50年10月17日、北朝鮮の元山付近で作業中、掃海艇が機雷に触れて沈没し、乗組員でただ一人帰らぬ人となった。

 政府は当初、この事実を伏せようとした。「戦死」の直後、実家に米軍の将校と海上保安庁の職員がやってきて「口外しないように」とクギを刺された。戦争放棄を掲げた日本国憲法が既に施行され、日本は平和国家の道を歩み始めていた。藤市さんは「弟の戦死は、日米両国にとって不都合だったんでしょう」と説明する。

 国が公式に坂太郎さんを顕彰したのは、死後30年近くたってからだ。派遣当時の海上保安庁長官だった大久保武雄氏が78年に出版した手記で特別掃海隊の詳細を明らかにし、翌年に坂太郎さんは叙勲を受けた。「やっと認めてもらえて、胸のつかえが取れた」と藤市さん。ただ、藤市さんが望んでいる靖国神社への合祀(ごうし)については「朝鮮戦争は対象外」と拒まれ、実現していない。

 藤市さんはこれまで、報道機関を通じて坂太郎さんの死の真相や遺族の無念さを語ってきた。ただ、孫やひ孫に直接伝えたことはない。どう話せばよいか分からなかったのだ。

 今年になって朝鮮戦争の終結に向けた機運が出てきたことが、藤市さんの背中を押した。弟の生涯を伝えるのに、ちょうどよい機会だと思えた。12日は歴史的な会談を自宅で見守り、後日に孫やひ孫たちを集めて説明する場を設けるつもりだ。「若い世代は朝鮮戦争と聞いてもピンと来ないかもしれない。でも、政府の命令で戦場に赴き、命を落とした日本人がいたことを忘れないでほしい」【大久保昂】

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