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ロシアの記憶・経験者が語る

サッカー/下 国土広大、時差に苦戦 巻誠一郎(37)=J2熊本・FW

サッカーW杯ドイツ大会ブラジル戦の前半、ヘディングで競り合う巻=2006年6月、竹内幹撮影

 海外でのプレーを志した契機は、屈辱的な大敗にある。

     2006年ワールドカップ(W杯)ドイツ大会で、腰痛の久保竜彦に代わり日本代表に「サプライズ」で滑り込んだ。ブラジルとの1次リーグに先発したが1-4で敗れ、大会を去った。判断やプレーの速さで圧倒され「Jリーグで普通にプレーしていては差が埋まらない」と痛感した。その半面、オシム監督の下で成長を遂げた千葉(当時J1)への愛着は深く、W杯後も「日本で自分を成長させたい」と海外からのオファーを断った。

     再び海外移籍を考えたのは30歳を目前にした10年7月。J2に降格していた千葉から来季の契約を結ばないと通告された。直後にロシアからオファーがあり「何の予備知識もなかったが1、2日後には決めた。一度諦めた海外移籍のチャンスだったので」。

     所属したアムカルはウラル山脈の西側にある工業都市ペルミにある。「クラブは低迷していたが、ロシア・プレミアリーグは縦に速いダイナミックなサッカーをするチームが多かった」。原油高による好況を背景に、同僚には東欧などの各国代表が多く、技術の高さに刺激を受けた。

     リーグの所属クラブは広大な国土にわずか16。時差がある中での移動がつきもので「夜の試合ならば、午前4~5時に帰ってくる。眠たくなって寝れば体内時計が狂うので苦労した」。初めての海外での1人暮らしは新鮮だった。「ボルシチと乾燥したパンがおいしかった。社会主義の名残で、銀行や公共機関は行列ができていても窓口が一つしか開いておらず、隣の職員は休んでいる。そういうことも受け入れて、楽しんだ」と懐かしむ。

     在籍した約半年で9試合無得点。「サッカーに関しては失敗だったかもしれない。でも、誰も僕を知らない環境で自分を見つめ直せた」。そんなことを自覚したのは16年4月に発生した熊本地震だ。知名度を生かして寄付を募り、救援物資を配り、走り回った。「自発的にいろんな行動を起こせたのも、海外での経験が非常に大きい。生きる力、人間としての深みが出たと思う」。自分を成長させてくれた大国でのW杯開幕を前に懐かしむ。【大谷津統一】


     ■人物略歴

    まき・せいいちろう

     熊本県出身。熊本・大津高、駒大を経て、2003年にJ1市原(現J2千葉)入り。中国リーグの深センでもプレーした。11年にJ2東京ヴへ。14年からは郷里のJ2熊本に所属。日本代表では06年W杯に出場。通算38試合8得点。

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