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新しい人工インスリン合成に成功 「国民病」に化学的アプローチ 東海大学 理学部化学科 講師
荒井 堅太

2017年6月1日掲出

 世界で4億人を超える患者がいるとされる糖尿病。日本の「国民病」とも言われるが、治療に欠かせないインスリンは合成が難しく、製剤の種類が少ない課題があった。東海大学理学部化学科の荒井堅太講師らの研究グループがこのほど新しい人工インスリンの合成に成功した。化学的な手法で従来より合成が簡単になり、効果が長く持続する製剤への応用が期待される。荒井講師に研究の成果と展望を聞いた。【聞き手・岡礼子】

 

 セレン原子よる結合に着眼 泥沼からブレークスルー

 ――天然のインスリンと、新しい人工インスリンの違いを教えてください。

 インスリンは、タンパク質の一種で、2本のアミノ酸の鎖が、2カ所のジスルフィド結合とよばれる化学結合でつながった構造をしています。天然のインスリンは、硫黄原子(S)がジスルフィド結合を形成しますが、僕らはそれをセレン原子(Se)による結合に替えました。Seは、Sとよく似ていますが、反応しやすく、安定性も高いので、インスリンの化学合成が簡便になりました。また、この手法で合成されたSeを含むインスリン、名付けて「セレノインスリン」は、体内での分解に時間がかかることも分かって、「一石二鳥」でした。

 

 ――インスリンの合成は難しいのですか。

 試験管の中で2本のアミノ酸の鎖を混ぜるだけで、必要なところが結合すれば良いのですが、ほぼ不可能だと言われています。そのため、これまでは、まず2本の鎖をリンカーペプチドと呼ばれる別のアミノ酸の鎖でつなぎ、2カ所のジスルフィド結合を形成後に、リンカーペプチドを切除することで、2本の鎖に戻す手法が使われていました。この手法は、僕には非効率的に見えました。

 最初に長い鎖を作らなければならないし、最後のリンカーペプチドの切除も難しい。タンパク質の鎖は、酵素を使って切り離しますが、必要なところだけ切れずに、細切れになってしまうことも多く、インスリンとして使える部分が少なくなってしまう。実は、体内では、このステップでインスリンが合成されています。それを模倣して、これまでは研究されてきたのです。

 

 ――効率を上げる方法を考えたのですね。

 手順を減らそうと、いろいろ条件を変えて試したのですが、うまくいかず、「泥沼」でした。この研究をやめようと思ったほどです。それで、ブレークスルーとして、セレンを使ってみることを思いつきました。

 その結果、混ぜるだけで最終形態のセレノインスリンができることが分かりました。この方法で大量生産ができれば、インスリン製剤が安価に提供できる可能性がありますし、これまでとは違うアプローチで製剤バリエーションを増やせるかもしれません。患者さんによっては、薬があわなくてアレルギー反応が起きることもあります。選択の余地はあった方がいいですから。

 

 基礎分泌を補う効果に期待

 ――効果が長続きすることで、体にはどのような影響を及ぼすと考えられますか。

 まだ、セレノインスリンが天然のインスリンと同じ構造を持っていることと、細胞レベルでの生理活性が確かめられた段階で、体内での働きについては未検討です。これからマウスを使って実験します。インスリン製剤の皮下注射は負担が大きいので、患者さんに投与する頻度が下がることを期待しています。

 インスリンは、食後の血糖値を下げるために、膵臓(すいぞう)から急激に分泌されるイメージが強いかもしれませんが、実は、体内で常にある一定の濃度で分泌されています。今回のセレノインスリンは分解速度が遅い為、体内で長く循環・作用すると考えられ、そのようなインスリンの基礎分泌ができない1型糖尿病の患者さんの補助に有効なのではないかと考えています。

 また、インスリンは基礎分泌を補う持効型のものと、即効型のものを混ぜて使うことも多いです。(生活習慣病と言われる)2型の患者さんも、症状が進むとインスリンの基礎分泌がされにくくなるので、応用できると思います。

 

 ――セレン原子は、人間の体内にあるものですか。

 動物や穀物などに微量のセレンが含まれ、食事をすれば体内に入ります。一部は代謝され、一部は体内のタンパク質に取り込まれます。抗酸化作用や肌代謝に関係する酵素に含まれる重要なタンパク質です。大量摂取による危険はありますが、もともと体内にあるものですし、セレノインスリンでは、アミノ酸に組み込んで使うので、毒性は低くなると考えています。とはいえ、合成したものなので、マウスの実験は、臨床応用に関わる重要なステップになります。

 

 ――インスリンの合成にセレンを使うアイデアはどこから?

 僕がもともとタンパク質の構造や物性に関する研究をしていたことに加え、セレンの性質についてもいくらか知識があったので思いついたのかもしれません。また、セレンが入ったタンパク質は、合成すること自体が難しく、どの研究室でも簡単にできる技術ではありません。研究を始めた当時、タンパク質の化学合成の研究者、北條裕信教授が工学部生命科学科に在籍していたことが、今回の成果につながりました。

 一緒に研究していた後輩の学生が、北條教授の研究室で合成技術を学び、セレンを組み込んだタンパク質を合成してくれました。その後、北條教授は大阪大学の蛋白質研究所に移ったので、共同研究の形になりました。

 

 ――共同研究には東北大学も参加していますが、東北大はどのような役割を担ったのですか。

 東北大は、合成したセレノインスリンの機能や立体構造を調べてくれました。同大の学際科学フロンティア研究所の奥村正樹助教とは5、6年前に学会で知り合いました。専門分野が近く、研究に対する考え方も合うと感じて、会うたびに「機会があったら一緒に研究しよう」と言い合っていました。今回の研究を始めて「まさに今だな」と思ったので、協力をお願いしました。

 奥村助教が所属する研究室は、タンパク質の構造解析が得意で、東北大にはX線を使って構造を解析する装置もあります。合成したセレノインスリンの細胞レベルの立体構造や機能を調べて、天然のインスリンと、機能的に同じであることを確認してくれました。

 

 ――共同研究を円滑に進めるコツはありますか。

 研究に対しては、皆さん真摯(しんし)に取り組まれているので、こちらも本気でぶつかることが重要だと思います。研究者の方々とは、学会で知り合うことが多いですが、関係が続くように、連絡を取り合うことを心がけています。今回、思いがけないところで、多くの人に助けてもらって、人間関係の大切さが身にしみました。

 

 人体のブラックボックス解明目指す

 ――インスリンの研究を始めたのはいつですか。

 博士課程の時です。もともと僕の研究テーマは、タンパク質の「フォールディング(構造の構築)」です。タンパク質は、体内でアミノ酸がつながった鎖として合成されますが、つながるだけでは機能しません。細胞内の特定の構造にフォールディングすることで、生物学的に意味がある構造になるのです。しかし、フォールディングの過程は、生物学ではブラックボックスで、よく解明されていません。

 フォールディングに、硫黄原子(S)によるジスルフィド結合の架橋プロセスが必要なので、今回の研究につながりました。今後は、フォールディングを少しでも解明して、アルツハイマー病やパーキンソン病の薬剤開発に結びつけたいですね。

 

 ――アルツハイマー病、パーキンソン病はどのような病気ですか。

 「タンパク質のフォールディング病」と言われています。近年の国内外の研究成果から、フォールディングに関わる酵素がだめになることが要因の一つであることがわかってきました。まだ始めたばかりですが、酵素の代わりになる化合物を作って、患者さんのところに届けば理想的です。

 タンパク質の研究が、こうした病気の治療につながると知ったのは大学4年生のころで、頭の隅にずっとありました。その後、有機合成やタンパク質の仕組みを調べるノウハウを得て、タンパク質が関わる神経変性疾患が研究対象になりました。すぐに製剤に結びつかなくても、研究成果が、誰かのヒントになればいいと思っています。最良の結果を「妄想」しながら、化合物を作るのは楽しいですよ。

 フォールディング現象が見つかって、まだ約60年です。科学の中では若い分野なので、小さな研究室からでも、成果を期待して挑戦を続けたいと考えています。

 

 ――タンパク質に興味を持ったきっかけはありますか。

 高校生の時、生物の先生から「タンパク質は、熱や圧力を加えると、壊れて元に戻らない」と教わりました。生卵を加熱すると白くなって元に戻らないように、不可逆的な反応だと言われ、そう思っていました。ところが、大学の講義では「タンパク質は変性しても、元に戻る」と言われたのです。「え、そうなの?」と、青天のへきれきでした。

 卵は、いろいろなタンパク質が含まれているので、一度構造が崩れると分子同士が複雑に絡まり合って戻りませんが、いったん壊れても、構造を保つ条件にすると、元に戻るものもあるのです。それがフォールディングで、タンパク質に熱や圧力などをかけると、折りたたまれていた構造が開いて、生理作用がなくなります。条件を戻すと、また折りたたまれて生理的に活性化する。オンとオフみたいで面白くて……。興味がわいて、化学科の岩岡道夫教授の研究室に入りました。

 

 ――体内でのフォールディングのメカニズムは解明されていないのですか。

 フォールディングとアンフォールディング(構造の崩壊)が関与するタンパク質の品質管理のメカニズムは非常に複雑です。体内にはタンパク質を作っては壊すサイクルがあって、たくさんの酵素が、それぞれの役割に応じて、ネットワークを組んで、本当に巧みに機能しています。まさにオートファジー(細胞自身が不要なタンパク質を分解する仕組み)もタンパク質の品質管理の一つですね。それらを少しでも解明したいのです。

 例えば、体内にはアルツハイマーの原因になるようなタンパク質が蓄積しないようなメカニズムがあるはずです。それに関与する酵素を特定し、機能をまねるような化合物を作って、薬剤として応用したい。「知って、作って、使う」が、僕らの研究室の方針なので、そのステップで進めたいですね。

 

 ――学生たちにメッセージをお願いします。

 僕もそうですが、人に言われたことに集中できる人は少ないでしょう。やる気や努力の原動力は興味だと思うので、自分が興味を持てることを探してください。僕は学生時代、人に言えないくらい勉強ができませんでした。授業がおもしろくなくて、答えありきの実験にも興味が持てませんでした。

 おもしろくなったのは、大学の卒業研究からです。答えがない問題について、実験すると何らかの結果が出て、不思議だなあと思いながら、それが何を意味しているかを考えるのが楽しかった。頭の中でスイッチが入ったような気がしました。

 タンパク質の機能や構造も、高校、大学で教わります。それを「ああ、そうなんだ」と受け入れないでほしい。分かっていないことは山ほどあります。内在するブラックボックスを見抜く感性を養ってください。

 

東海大学 理学部化学科 講師 荒井 堅太 (あらい けんた)

1986年、宮城県出身、東海大学理学部化学科卒業、東海大学大学院理学研究科化学専攻、同総合理工学研究科博士後期課程早期修了。博士(理学)。2012年東海大学理学部化学科 日本学術振興会特別研究員DC2・PD、2013年イギリス カーディフ大学博士研究員、2014年東海大学理学部化学科助教を経て現職。専門はタンパク質に関する生物物理学、創薬に関する有機合成化学。