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野呂邦暢小説集成

完結 詩的感性、筆のさえ 原爆描いた未完の長編収録

 <日曜カルチャー>

     長崎県諫早市を拠点に活躍した作家、野呂邦暢(くにのぶ)(1937~80年)の精髄を伝える『野呂邦暢小説集成9 夜の船』(文遊社、3888円)が6月に刊行され、同集成全9巻が完結した。『集成9』には野呂の原点となったエッセー集「地峡の町にて」、長崎原爆を描く未完の長編「解纜(かいらん)のとき」、唯一の詩集「夜の船」などを収録。詩的感性で繊細な文章をつづった作家の豊かさや可能性を再認識させる。【米本浩二】

     野呂は長崎市生まれ。ガソリンスタンド勤務などさまざまな職業を経験した。65年に文学界新人賞佳作でデビュー。74年、陸上自衛隊での体験を基にした「草のつるぎ」で芥川賞受賞。80年に心筋梗塞(こうそく)のため42歳で急逝した。

     <ぼくはふたたび帰って来た>

     『集成9』巻頭の「地峡の町にて」は20代の習作集。自衛隊を除隊した野呂は1年ぶりに諫早に帰る。故郷は大洪水に見舞われた直後。定職につかず、家庭教師のアルバイトで日々をしのぐ。散文詩ともいえる文章をまとめたのが「地峡の町にて」である。25の短文から成る。

     <ぼくは自分を未知の海めざして錨(いかり)をあげる一艘(いっそう)の船にたとえていた。海図もコンパスも寄港地のあてもなく船出する船、なんのために? ぼくは自分以外の人間になりたかったのだ>(「地峡の町にて」)

     野呂の1年足らずの自衛隊経験は、作家志望者の経歴にしては奇異に感じられる。<自分以外の人間になりたかった>(同)結果なのか。<ぼくは自分の顔が体つきが、いやそれに限らず自分自身の全てがイヤだ。ぼくは別人に変りたい。ぼく以外の他人になりたい>(「草のつるぎ」)と書いている。

     <自分以外の人間>になりたいという願いは、見果てぬ夢を追いかけるようなものだ。別人になりたい、他人になりたい、と言いつつ、焦慮や苦悩は次々に襲ってくる。救いは書くことだ。<海面に燃える船の影が映る/さかさまになって……/誰も気づかない/沖では船が燃えている>(「夜の船」)

     「地方」作家が珍しかった70年代、諫早の野呂は10歳上の水俣の石牟礼道子(1927~2018年)と並べて語られることが多かった。「海ひとつ隔てた隣人」(野呂)の2人は互いに親近感を抱く。到達したとたんに失われる「もうひとつのこの世」を求めて石牟礼も試行錯誤を繰り返していた。

     <ものを創る、表現するということは、潮と舟の舳先(へさき)との親和を創り出すようなことではなかったのでしょうか>と石牟礼は野呂との往復書簡で述べている。文芸評論家の松本道介によると、野呂の原風景は「葦のしげみの中にある打ち捨てられた廃船」である。石牟礼も浜辺で崩れゆく舟のイメージに生涯固執したのだった。

     石牟礼は10代で<あの火は不知火の海から渡って来る/わたくしを招く火/わたくしを呼んでいる火>(「不知火」)と記す。呼応するかのように野呂は、<もうひとつの火が自分の内に/あるとも知らずに>(「不知火」)と書く。期せずしてタイトルも同じである。次なる海を目指し、新しい自分を求める。夢幻的イメージの源泉である。

     野呂は長崎原爆の直前に諫早に疎開し、危うく死を免れている。生家は爆心地から800メートルの至近距離。原爆投下時、7歳の野呂は諫早にいた。

     <西南の方、ちょうどこれから行こうとしている公園の上空にまばゆく白い光球が一つ輝いている。太陽は真上にかかっている。一時に二つの太陽が天空に位置したかのようだった。一、二分後に鈍い爆音が地を圧して轟(とどろ)いて来た>(「地峡の町にて」)

     「解纜のとき」は、まさに題名が示唆するように、永遠の放浪者たる野呂が地球の裏側を目指すかのような大航海を試みた生涯最長の小説である。

     ルポライターの三宅鉄郎と広告会社の営業マン吉野高志の2人が主人公。三宅は諫早で被爆を免れ、生き残ったことに罪悪感を覚える。吉野は長崎で被爆し、白血病で死を覚悟している。2人は野呂の分身だ。交互に描くことで、原爆後の複雑な現実を重層的に描こうとする。

     31歳ごろ構想した「解纜のとき」は35歳で筆を起こした。物語はこれから、という段階で中断され、未完に終わった。原稿用紙850枚。吉野が廃船と向かい合うシーンが印象的だ。<船橋と舳だけが水面にのぞいている船を見ていた。彼が記憶の乾板に焼きつけている廃船のかずかずがこのときになってくっきりと甦(よみが)えってくる>

     大航海を目指して、海から海を経巡るはずが、気がついたら昔からなじんだ廃船と向き合っている--心象風景から抜け出せない。

     元熊本日日新聞記者の久野啓介氏は『石牟礼道子全集』月報に「野呂邦暢さんと石牟礼さんのこと」を寄稿している。久野氏は野呂の訃報に接し、石牟礼に電話をかけた。彼女の言葉に絶句した。

     <「別れを言いに来られたんですよ」/「えっ」/「真夜中に戸を叩(たた)く音がして、目を覚ますと、窓ガラスのところに立っておられたんですよ。野呂さんが」/「……」/「なんにも言わずに。やっぱり別れを言いに来られたんでしょうね」/「……」>

     別れを告げに来た野呂は何を言おうとしたのか。石牟礼が語る野呂のたたずまいと、「中断」で終わった「解纜のとき」の雰囲気は似通う。いきなりぶった切ったような空白は、天才的な筆のさえとどこか通じ合う。


     ◆野呂邦暢略年譜

    1937年  0歳 9月20日、長崎市で出生。本名・納所邦暢。父は土木業を営む。

      45年  8歳 長崎県諫早市へ疎開。爆心地長崎の空を遠望。

      56年 19歳 県立諫早高校卒業。京都大を受験するも失敗。

              父の事業失敗。浪人生活を切り上げて帰郷。

              秋に上京し、ガソリンスタンド勤務など職を転々とする。

      57年 20歳 春に帰郷。6月、佐世保陸上自衛隊に入隊。

              7月、諫早市本明川が氾濫し、市街地が大洪水に遭う。

              秋に北海道・千歳の北部方面隊に配属。測量手となる。

      58年 21歳 6月、自衛隊除隊。7月、帰郷。家庭教師をしながら図書館で読書。

      64年 27歳 「双頭の鷲のもとに」が『自由』新人賞の最終候補作に残る。

              実質的な第1作「壁の絵」の原形となる。

      65年 28歳 「或る男の故郷」が文学界新人賞佳作入選し、文壇デビュー。

      66年 29歳 「壁の絵」が芥川賞候補。佐木隆三や長谷川修と親交を結ぶ。

      71年 34歳 4月、結婚。諫早市の古い武家屋敷に転居。

              移り住んだ屋敷はのちの長編『諫早菖蒲日記』の舞台となる。

      74年 37歳 「草のつるぎ」で芥川賞受賞。候補は5回目。

      77年 40歳 『諫早菖蒲日記』刊行。

      78年 41歳 4月、離婚。

      80年 42歳 5月7日、心筋梗塞で死去。

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