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尊皇の象徴、楠木正成の「聖地」
明治と改元されて150年の今年、近代の再検証が学会、メディアや出版界でも盛んだ。記者もゆかりの地を訪ねた。
まずは阪急水無瀬駅(大阪府島本町)に降り立つ。駅前に掲げられた地図をみると、JR島本駅方面に延びる道路に「楠公(なんこう)道路」とある。歩いて5分ほどのところに「史跡桜井駅跡史跡公園」(同町)がある。
楠公とは楠木正成(?~1336年)である。後醍醐天皇に味方した正成は同年、都に攻め寄せてきた敵の足利尊氏軍を湊川に迎え撃ち、戦死した。『太平記』によれば正成は尊氏軍との決戦に反対したが、公家らに押し切られた。死を覚悟した正成は同行していた11歳の嫡男・正行を本国河内に帰らせた。親子が別れたのが「桜井の宿」だ。
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