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@上海・中国観察

「14億分の1のシンデレラ」 歌手デビュー

歌手デビューをした中国湖南省出身の龍夢柔さん=上海市内で19日、工藤哲撮影

 以前の記事<ネットで話題の「シンデレラ」は中国のイメージを変えるか>で紹介した中国湖南省出身のトゥチャ族で上海海洋大学4年生、龍夢柔(ロン・モンロウ)さん(22)。6月の大学卒業後の日本でのデビューを目指してきたが、念願かなって6月20日から歌手の道を歩むことになった。

 19日に上海で記念イベントが開かれ、農村育ちのロンさんは「本物の歌手になれて、こんなに多くの人の前で歌えるようになるとは思っていませんでした」と声を詰まらせた。

 ロンさんのデビュー曲や、支える人たち。そこからも今の中国の姿が見えてくる。

日本のバラード曲 中国で再評価

 ロンさんのデビュー曲は、日本のシンガー・ソングライター、井上慎二郎さんが作詞・作曲し、日本の音楽グループ「ラムジ」(既に解散)が歌っていたバラード曲「PLANET」に決まった。原曲は2006年、メイン曲ではない形で日本で発売された。このほど再リリースが決まり、エイベックスが配信することになった。今回のリリースを前に、中国語版も新たに作られ、ロンさんが作詞を手がけた。ロンさんは、日本語と中国語で歌っている。

 「さよならなんてー、なーいーよー」

 サビを聞くと、確かに耳に残りやすい。

 実はこの曲、中国の若者の間ではかなり話題になっている。中国は6月が卒業式シーズンにあたり、「卒業ソング」としても定着してきたという。

 きっかけは16年。中国の著名な芸能人の結婚式のBGMでこの曲が使われ、中国の動画投稿アプリ「抖音(ドウイン)」を通じて紹介されたことだった。一気に人気が高まり、中国のインターネット上では100万件以上の好意的な反応が寄せられた。日本では広く知られることのなかった曲が、思わぬ形で再評価されたのだ。

 上海のイベントに参加した井上さんによると、中国でこの曲が知られることになったのは、まったくの予想外だった。昨年7月ごろから「中国で流行しているらしい」といううわさが耳に入り始めた。日本にいるだけではなかなか実感がわかず、しばらくそのままにしていた。

 その後、今年3月に入って中国側から「曲をカバーしたい」「番組で曲を使いたい」といった声が届くようになった。

 元々歌っていたグループは既に解散したため、男性ボーカルを探してみたが井上さんは納得できず、女性の歌手を探していたところ、ロンさんの名前が挙がった。

デビュー曲「PLANET」を歌う中国湖南省出身の龍夢柔さん(左)。作詞・作曲を手がけた井上慎二郎さんが演奏した=上海市内で19日、工藤哲撮影

日本の若者とは異なる素朴さ

 井上さんは、ロンさんにどんな第一印象を持ったのだろう。

 「ロンさんが発信するインスタグラムの画像を最初に見て、『日本の都会にいる女子学生のような雰囲気かな』と想像していたのですが、実際に会ってみたら、日本人の若い子とはちょっと違った素朴さや純粋さが伝わってきました。歌手としての可能性を感じます」と言う。

 ロンさんは、自分でも作詞や作曲に早くから取り組んでいた。「出回っている『PLANET』の歌詞は納得がいかない。もっとかっこ良くしたい」と自分で歌詞を作り直した。井上さんは「しっかり音楽に向き合おうとする彼女の姿勢が伝わってきた」という。

 井上さんは実際に上海に来てみて、中国の若者の予想以上に好意的な反応を感じた。

 「J-POPは元々、曲作りが緻密で展開がドラマチックなのが特徴です。メロディーが切なげで、歌詞も直接的ではなくて繊細に作られています。中国は日本と同じ漢字圏でもあり、こうした詩的な表現が、何となく中国の若者の心に通じたのではないか、と思いました。それから何と言ってもSNSの力が大きいと思います」と話す。

 井上さんは「PLANET」が中国で知られるようになり、ロンさんがこの曲でデビューしたことをきっかけに、今後はロンさんや中国の若者たちに曲を提供していくつもりだ。

 「こうやって時や海を越えてこの曲が愛されることには本当に驚きましたが、心を動かされました。音楽を続けてきて本当に良かった。日本の文化はアニメばかり注目されますが、すてきなJ-POPがあるのだ、と中国の若者たちに伝えていきたいですね」と意気込む。

 上海のスタジオには数百人のファンらが集まった。ボイストレーニングなどを続けてきたロンさんは、時折緊張した表情を浮かべつつ、こう語りかけた。

 「私の夢は歌手でしたが、ここまで来るのは決して容易ではありませんでした。それまでは普通の大学生で、歌手はずっと遠いものだと思っていました。私が以前オーディション番組でグランプリを取った時、いくつかの会社からデビューのオファーを受けましたが、農村で働く両親の期待を裏切ることができず、大学で勉強を続けました。卒業の時に助けてくれる人と出会い、自分の人生の夢を追う時だと決心しました。これから新たな道を進みます。初心を忘れず、自分の力を高めていきたいです」

 「音楽に国境はありません。私は中国と日本をつなぐ橋になり、今の中国を知ってもらえるような活動をしたい。また中国の多くの人に今の日本を知ってほしい、そんな役になりたいと思っています」

 日本のテレビで見る歌手や芸能人なら、おそらくあまり語らない言葉だ。

 会場からは温かい拍手が起きた。ここにいる若者たちの多くは、既にこの曲をどこかで耳にしていた。ペンライトを揺らしながら、一緒に歌っていた。

日本には多くない「中華圏出身歌手」

 ロンさんの歌手としての可能性は実際のところどうなのか。

歌手デビューをした中国湖南省出身の龍夢柔さん=上海市内で19日、工藤哲撮影

 上海でロンさんのデビューを後押ししてきた庄磊さんに聞いてみた。庄さんは中国の人気音楽グループ「女子十二楽坊」のプロデュースも手がけ、中華圏の芸能事情に詳しい。

 庄さんはロンさんについて「日本では、彼女が人気女優に似ているというイメージが先行してしまっていますが、中国の国営中国中央テレビ(CCTV)のオーディション番組『来たれ シンデレラ』でグランプリを取った実績があり、まだ秘められた才能があると思います。今は本人の努力が必要な時期です」と話す。

 「日本に腰を据え、まずは言葉をしっかり学ぶと同時に、日本の社会や日本人の考え方、習慣をきちんと理解することが大切でしょう。3年、5年と時間をかけて、人の心をつかむ本物の歌手をイメージしてほしいですね」

 「ロンさんは、これから日本を拠点に活動します。日本での生活にストレスを感じることもあるでしょう。ですがその困難を乗り越えて、両方の国の良さを相手の国に伝えられる存在になってもらいたいのです」

 ある中国の芸能関係者は、こう指摘する。

 「これまでの中華圏出身のスターの日本進出には課題がありました。台湾出身のテレサ・テンはその歌が日本で広く知られていますが、日本語の発音にはやや課題があったかもしれません。王菲(フェイ・ウォン)は一時期日本でもヒットしましたが、香港や中国大陸が主な拠点でした。また、女子十二楽坊の場合は中国の古典楽器が中心で、歌がありませんでした」

 「日本で言葉が理解でき、さまざまな事情にも通じ、成功した歌手というのは香港出身のアグネス・チャンさんなどがいるものの、実はそれほど多くありません」

 ロンさんが生まれた湖南省の村は165世帯しかなく、多くの若者は都会に出稼ぎに出ていた。地元の県から大学に進めたのはわずか数人だった。

 ロンさんは幼いころ、地元の学校に通う傍らで、授業がない日も毎朝6時に起き、家族に食事を作り、午前中には豚や鶏にえさをやり、トウモロコシ畑で働く父親に食事を届けていた。父親とトウモロコシを収穫し、帰宅後は弟に勉強を教える生活をしていたという。一念発起して上海の大学を選んだ。両親の望む通りに会計学の勉強に専念してきた。

 6月下旬の大学卒業後、ロンさんは日本に拠点を移して言葉を学びながら新生活を始める。既に日本と中国を何度か往来して日本での自炊も経験し、ご飯やみそ汁が好きになったという。

 湖南省湘西トゥチャ族ミャオ族自治州のふるさとから上海の大学を出て、東京へ。日本の生活でロンさんはどう変わっていくのだろうか。【工藤哲】

工藤哲

上海支局記者 1999年入社。盛岡支局、東京社会部、外信部、中国総局(北京、2011~16年)、特別報道グループ、外信部を経て、2018年4月から現職。北京駐在時には反日デモや習近平指導部が発足した第18回共産党大会などを取材してきた。著書に「中国人の本音日本をこう見ている」(平凡社新書)など。

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