裂ける大地を、傷ついた被災者を、伝えた記者がいる。1948年6月28日に発生した福井地震の当時、毎日新聞福井支局員だった田中忠さん(68年に52歳で死去)。福井、石川の両県で3769人が犠牲になった激しい揺れに福井市の電信電話網は絶たれ、余震の続く夜を徹して約50キロ南の福井県敦賀市までフィルムを運んだ。元高校教諭の長男昌幸さん(73)は「記者魂の塊のような父でした」と語る。敦賀から電送された写真は被災2日後の朝刊に掲載され、福井地震の被害を全国に伝えた。【平川哲也】
両手のひらに収まるカメラの革製カバーに、「毎」の字をあしらった古い社章が貼られている。福井県南越前町の自宅で大事そうにそれを抱え、昌幸さんが言った。「父の遺品です。福井地震のときも、このカメラを使っていたのかもしれない」。壁に掲げた忠さんの遺影を見上げ、在りし日の父をしのんだ。
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