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『古事記』を物語として楽しむ そのエンターテインメント性は現代のアニメにも通じる 東海大学 文学部日本文学科 教授
志水 義夫

2016年5月2日掲出

 「日本最古の歴史書」として知られる『古事記』。東海大学文学部日本文学科の志水義夫教授は、これまでさまざまな角度から研究されてきた『古事記』について、「神話」「王権の書」といった従来の読み方に加え、そのエンターテインメント性に着目し、物語としての面白さを指摘している。「古典をエンタメとして読む」とはどういうことなのか、話はイザナギ、イザナミの神話から魔法少女にまで及んだ。【毎日新聞社デジタルメディア局 浜名晋一】

 

 ――日本の歴史書と言えば、『古事記』と『日本書紀』が知られていますが、両書の違いは何でしょうか。

 本来『日本書紀』がメインで、『古事記』はあくまで副読本という位置づけでした。『日本書紀』は中国人に見せても恥ずかしくないような漢文で書かれています。一方、『古事記』は漢字で書かれていても、日本語で語ろうという意志が強いのです。『古事記』は日本語の世界です。そこが最も大きな違いですね。

 

 ――先生が指摘される『古事記』の系譜的叙述と物語的叙述とは何ですか。

 系譜というのはまず、お父さんがいて、お母さんがいて、子供がいるわけです。そこから「お父さんとお母さんはどうして結婚したの?」「こんなラブロマンスがあったのよ」ということで物語が生まれます。『古事記』は基本的にどういう天皇がいて、お后(きさき)がどうで、跡継ぎがどうでということを記し、その間に「どうして結婚したかとか、跡を継ごうとした時にどういう抵抗勢力があったかとか」といった物語が入っています。

 ですから、『古事記』を見ていくと、系譜から物語が生まれる。逆に物語をどんどん短くしていくと、最後は系譜になるのではないでしょうか。

 

 ――そういう記述の仕方は『古事記』のオリジナルと言えるのでしょうか。

 全てがそうです。極端にいえば映画の『スター・ウォーズ』だってそうですね。あれはスカイウォーカー家の系譜ですから、『古事記』と同じ手法です。

 

 ――『古事記』をエンターテインメントとして楽しむという視点もあるということですね。

 話を骨格だけにしてしまうとつまらなくなるので、ウケを狙って演出を加えていく。皇位継承に対して、抵抗勢力の一族による闘いの勝敗だけでなく、敵役やヒロインの性格なども楽しもうということです。

 

 ――『古事記』の中でお気に入りのストーリーは。

 アマテラスが変身する場面です。スサノヲがまず、姉のアマテラスのいる高天原に昇って行く。しかし、警戒したアマテラスは男の格好で迎えます。その変身の描写がやけに細かいのです。

 結ばれていた髪がフッととけて、ワッと広がって、もう1回結ばれて、そこに飾りが付いて、手に武器が装着されて、そして、足をシャキッと伸ばして、ポーズを決める。これは魔法少女物のアニメの変身シーンと同じでしょう。そういう楽しみ方があるのです。

 

 ――『古事記』とアニメの類似性ということですね。

 『古事記』は神話だと言われますね。神話とは物事の起源を語る物語です。『古事記』の場合、地上の王者の起源を語る神話ともいえますが、王者は過去の自分を切り捨てて、新しく生まれ変わって王者になるという物語を持ちます。つまり、「死と復活」という話のパターンです。それが、たとえば、弱虫だった人間が試練を受け、一人前になっていくというような演出で語られる。そこに面白さがある。面白さというのは、誰もが面白いと思うから今だに伝わってきているし、だからこそ、それは古典と言えます。

 

 ――今のアニメのストーリーも、元をたどれば『古事記』じゃないかと。

 そうですね。できあがった物語は何らかのパターンに収まってしまう。収まらないとつまらないという気がします。あまり奇想天外なものが出てきても、受け入れられないと思います。受け入れる側にある程度の常識があって、それと違うものが出てきた時に、全く違うと理解できない。でも、知っているものと何かがつながっていながらも、少しでも違うと、斬新さを感じるわけです。その中で、一回きりのものは消えるし、何度味わっても、面白いものは続いていく。その中で残ってきているものが古典だと思います。

 そういう意味では、新しい古典も既に生まれていると思いますよ。ウルトラマンは完全に古典化していると思いますし、ガンダムもそうですね。ウルトラマン、仮面ライダー、ガンダムなどは、シリーズのどの作品を見たかで世代が分かる。系譜と同じです。

 

 ――アニメへの関心は子供の頃からのものですか。

 マンガを読んで育っていますし、元々、マンガ家を目指していましたからね。我々の世代は、たぶんマンガやアニメで自己表現できる最初の世代なのではないかと思います。去年はマンガで『古事記』を紹介する仕事をしましたよ。絵はプロの方に描いていただきましたが、シナリオ(ネーム)は自分で原案を作りました。

 

 ――先生は「自己形成に影響を与えたさまざまな作品も『古典』と呼べる」とおっしゃっていますが、最も影響を受けたマンガやアニメの作品は何でしょう。

 難しい質問ですね。小学生の時に見たNHKの人形劇「新八犬伝」とか、横山光輝の「水滸伝」は好きでしたね。他にも、竹宮惠子や萩尾望都の少女マンガも読みましたよ。今だと「まど☆マギ」(『魔法少女まどか☆マギカ』)かな。これは自己形成ではなくて、研究に、だけど。でも、自己形成に一番影響を受けたのはむしろ小説で、辻邦生の『背教者ユリアヌス』です。主人公の生き方が今の自分の生き方の基礎になってます。

 

 ――ウルトラマンやガンダムを「現代の古典」とおっしゃいましたが、古典の定義とは何ですか。

 古典とは、漢字の成り立ちを見ると、「古」は「十」+「口」で、たくさんの口を通じて伝わるという意味です。また「典」という漢字は、元々「冊」という字がテーブルの上に並んでいることを意味します。「大切にされて、多くの人々が伝えたもの」という意味なのです。だから、多くの人が後の人や遠くの人に伝えたいと大切にする作品が「古典」なんだと云えるんです。

 

 ――古事記研究では本居宣長の『古事記伝』が有名です。

 本居宣長は『古事記』が日本語で語られようとしていることに注目して、『日本書紀』より素晴らしいと言いました。そこには「日本とは何か」という問いがあります。言葉というのは認識方法と結びついています。学生によく言うのですが、英語の「アイ・ラブ・ユー」では、まず「私が愛を行う」と宣言した後に、「あなたを」と言う。これを日本語では「(私は)あなたが好きだ」と言うのが自然です。主語は「あなた」だし、そもそも動詞を使わない。「好きだ」は形容動詞なのです。「私」と「あなた」の関係を示した上で、「好きである」という状態を表します。間の関係を確認するのが日本語の発想です。でも、英語では最初に個人が突っ走っているでしょう(笑)。誰が何をするか、と行為の責任をはっきりさせてから説明してゆくんですよ。ことばの仕組みは考え方の仕組みと対応している。

 だから、漢文か日本語かというのは大事です。奈良時代から1000年以上、漢文中心だった中で、「日本って何だ」と日本のオリジナリティを探したら日本語に行き着いて、その言葉で語られている『古事記』を評価するということになったのです。宣長は漢文と日本語の違いの中から、我々が守るべき規範をどこに求めるのかと模索したのです。

 でもね、『古事記』を読んでみると、アマテラスの岩戸ごもりは引きこもりの元祖ですし、高天原で暴れ回ったスサノヲは家庭内暴力のはじめです。イザナギ、イザナミは離婚の始まりです。現代の家庭内争議は全て『古事記』にも見えるんです。物事の起源を語るのが神話だとさっき言いましたよね。

 このように見て、「これが日本なんだよ」「それでいいんだよ」という感じの捉え方が『古事記』に一番合うと思います。エンターテインメントを強調するのは、書物に対する重苦しい印象を崩したいという思いからです。「書かれたものは真面目でないといけない」「世の中真面目が一番」のようになっていますが、「不真面目の復権」があってもいいと思います。

 

 ――『古事記』のように、引きこもりや離婚の話が盛り込まれている神話は世界的に珍しいのですか。

 世界で体系的に残っている神話は基本的にギリシャ神話と日本神話です。これがよく似ています。本学の歴史学科の先生をゲストに迎えた授業でお話しいただいたときに知ったのですが、ギリシャの地形は日本とそっくりなのです。温暖で自然豊かで、海や川や山があり、田舎があり、都市がありという風土の中から神話が生まれました。だから結果的に似ているのだろうと思います。

 

 ――『古事記』とギリシャ神話で似たような話はありますか。

 一番有名なのは、イザナミ、イザナギの黄泉(よみ)の国訪問に例えられる、オルフェウスの話です。エウリュディケを迎えに行って、振り向いたらいけないのに、振り向いてしまったとか。自然と人間との付き合い方からの発想、風土のなせる業だと思います。

 

 ――ところで、『古事記』もそうですが、これまで文化を伝えてきた紙の媒体が今、出版不況と呼ばれるように低迷する一方、電子書籍は増える傾向にあります。

 昔は本を手で書き写していたわけですが、戦国時代以降、印刷技術が導入されると、大量生産できるようになりました。しかし、板に彫って紙に刷る以上、筆と墨と紙の世界という点では変わりません。ところが今度はその紙と筆の部分が変わったのだと言えます。

 おそらく、1000年のスパンで見ると、2度目の大きなメディア変革(チェンジ)が起きているのだと思います。最初のチェンジは口で伝えていたものを紙に書き取ることができるようになったこと、ちょうど『古事記』の時代です。それに対して、書き取ったものを筆と墨を使わず、電気信号によって送るというのが現在です。

 

 ――現代の学生の読書事情はいかがですか。

 本が好きな学生はよく読んでいます。ただ一方で、マンガすら読まないという学生も多いようですね。それよりも、LINE(ライン)で話し合っているようです。誰でも参加できて、発言できるのが電子メディアの特徴の一つだと思います。内容はとりとめのない話かもしれませんが、『枕草子』だってとりとめのない話じゃないですか(笑)。誰かが書き始めたものを、誰かが受け止めて、またほかの誰かが続きを書くという、その場で入れ子になって、作り上げられるのが、今の文学の作られ方なのかもしれません。

 

 ――文学とは何でしょう。

 やはり、人の生き方のモデルです。人間とはどんなものなのか、人間について知ることにつながっていくのが文学と言えるでしょう。他人のことがわかるのです。「KY」(空気をよまない)という言葉がはやりましたが、文字を読まないことで出てきた現象と言えるのではないでしょうか。想像力の欠如ですね。

 想像力というのは、自分の持っているデータを組み上げて、構築していくものです。互いに持っている共通のデータの組み合わせが多いほど共鳴できます。しかし、そうした時のデータベースが狭くなってきています。ラインを通じて仲間内のことは分かるけど、外の世界への想像力がなくなってきています。

 

 ――今後、取り組んでいきたい課題やテーマは何でしょう。

 いま言ったメディア変革の問題と、商品としての文学ということですかね。「売り物になる」とはどういうことか興味があります。だから、エンターテインメント性に注目しているんですよ。

 また、古くから伝えられてきたものを未来に遺し伝えたい。『古事記』がそうだったでしょ。口承でいくとどこかで絶えてしまうから紙に書いて、後の世まで伝えようと書かれたのでした。メディア変革で文学も文学の研究方法も変わってゆくでしょう。でも作品は残すことができる。そういえば、『古事記』の授業をしていると、今の学生の方が『古事記』をよく読めるのではないかと感じます。今の子供たちは映像に慣れていて、『古事記』の奇想天外な場面はみんなアニメや特撮の場面のように映像化されて頭の中に浮かびます。古代のファンタジーは、今のほうがすんなり理解されるところがあるのではないでしょうか。

 たとえば、平安時代の人間が『古事記』を読んだ時には浮かばなかったであろう映像として、ヤマタノヲロチがやってくる場面があります。身の丈は八つの尾根にわたり、腹をこすりながらやってきます。でもわれわれは円谷特撮映画の感覚で読めますよね。昔の人が文字として理解しようとしていたものも、現代では頭の中で映像化できるのです。

 

 ――そういう可能性を持った若い世代に対してメッセージをお願いします。

 小説でもマンガでもアニメでも映画でも、とにかくいっぱい読んで、見てください。「ラインから出てきなさい」ですかね。アマテラスじゃないんだから、怖じけずに外に出て、楽しいお祭り騒ぎを見つけて、世の中と自分とを肯定して過ごして下さい。

 

東海大学 文学部日本文学科 教授 志水 義夫 (しみづ よしを)

1962年4月生まれ。東海大学文学部北欧文学科でフィンランド語と民族叙事詩「カレワラ」を学び、卒業後、東海大学大学院文学研究科日本文学専攻博士課程に進学。同大学院では国学院大学の桜井満教授に師事した。研究テーマは「『古事記』の成立」「『日本書紀』受容史」。古事記学会理事。博士(文学)。著書に「古事記生成の研究」(おうふう)、「古事記の仕組み」(新典社新書37)、「澁川春海と谷重遠」(新典社選書70)、「マンガでわかる古事記」など(池田書店)がある。