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若松孝二とその時代

2012年10月17日に若松孝二監督が突然の事故で逝ってから5年半余りがたった。「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)」「キャタピラー」「水のないプール」「天使の恍惚(こうこつ)」「赤軍-PFLP・世界戦争宣言」「犯された白衣」など、日本映画史に残る傑作、問題作を数多く残した鬼才の死を惜しむ声は今も少なくない。「映画を武器に世界と闘う」「日本映画界をブチ壊す」--。半世紀にわたって、体制への怒りと反抗心をむき出しにした若松監督がこの国にもの申し、時代を撃ち続けた力の源泉とは何だったのか。ゆかりの深かった関係者へのインタビューなどから、にんげん・若松孝二の原点と魅力に迫る。

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若松孝二とその時代

(4)奥田瑛二さんインタビュー 「気のおけない『兄貴』だった」

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 連載企画「若松孝二とその時代」第4回は、長年にわたって若松孝二監督と親交のあった俳優兼監督の奥田瑛二さんに登場を願った。若松作品への出演はなかった奥田さんだが、東京・新宿のバーや地方の映画祭などで何度も顔を合わせた、いわば飲み仲間である。「ゼロ・ピクチュアズ」を中心に映画を製作する奥田さんは、「若松プロダクション」の若松監督に対して、独立プロの大先輩として以前から敬意を持っていたようだ。昨今、映画「64-ロクヨン-前編・後編」「世界から猫が消えたなら」「散り椿」など出演作が続く奥田さんに、独立プロの映画製作の話はもとより、夜の帳(とばり)でグラスを傾けあった亡き監督の知られざる一面を語ってもらった。【鈴木隆】

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