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私だけのタイムカプセル

渓仁会グループ名誉会長・秋野豊明さん 地域の医療・保健・福祉支え /北海道

研究者から経営者へ 挑戦の日々 秋野豊明さん(82)

 「渓仁会グループ」は、4500人以上の職員を擁する医療・保健・福祉の総合事業体だ。高度な医療を提供する「手稲渓仁会病院」(670床)をはじめ、家庭医療クリニックや老人介護施設など幅広い施設を運営し、地域の安心を支える。前会長の秋野豊明さん(82)は札幌医科大学学長を退官後、経営危機にあった同グループの発展に尽くした。研究者として、また経営者として医療に関わり続けた半生について聞いた。【三本木香】

     <医療者として挑戦を続ける原点は、開拓の気風に満ちた学生時代にあった>

     バブル崩壊後の2004年に札医大の学長を退官し、渓仁会の理事長に就任しました。渓仁会はメインバンクの破綻で経営は苦境にあり、大規模な病院を建設して医師会との摩擦もありました。

     大変な状況でしたから、周囲には「なぜ医大の学長が、わざわざ民間病院へ苦労をしに行くのか」と不思議がられたものです。私大教授にとの打診もありましたが、私は新天地で経営者として医療を支えることこそ、自分が挑戦すべき使命だと思ったのです。

     1957年に札医大医学部に進学し、新しい医学を先取りする進取の精神や、地域医療に尽くす開拓の気風に満ちた学び舎(や)で医大生時代を過ごしました。50年に開学したばかりで教授陣は若く、自由闊達(かったつ)な明るい雰囲気で、先輩たちが真剣に勉強する姿を今でもよく覚えています。

     <基礎医学の研究者として研さんを積みながら、地域医療に貢献した>

     学部卒業後はインターンとして、災害医療の最先端だった炭鉱病院で経験を積んだ後、大学院を受験しました。大学院の小児科志望は2人で、枠は1人。ジャンケンで進路を決め、負けた私は生化学教室で呼吸機能に関わるリン脂質の研究に打ち込み教授になり、もう一人は国際的に著名な小児科教授になりましたから、運命の分かれ道で二人とも天職を得たのでしょう。

     また、札医大では、地域医療を支えるために各医局から医師を地方へ派遣しており、私は約2年間、洞爺村の診療所に勤務しました。2500人の住民に対して医師は私一人。村民や周囲の病院の方々に助けられてばかりでした。

     <札医大出身者初の学長として、大学改革と付属病院の経営改善に乗り出す>

     留学や海外での訪問研究員生活も経験し、研究は順調でしたが、札医大の8代目学長に選ばれ、大学改革に専念することになりました。道の予算が厳しい中、道立大学として基礎医学研究棟を新設できたことには今も感謝しています。学生が討論しながらグループで勉強できる環境を整えたことで、医師国家試験合格率は全国上位に食い込むようになりました。また、研究設備が充実し、外部研究費の獲得額は倍増しました。

     同時に大赤字だった付属病院の経営改善でも、知事の特命で学長自ら指揮を執りました。診療報酬の請求漏れや人員配置のだぶつきを改善し、新しい経営マネジメントを導入して、大学病院にも経営感覚が必要だと痛感したものです。

     この頃、無給で働く医局員などが、収入を得るため地方病院に名前を登録し、実際には勤務しない「名義貸し」の実態が明るみに出て、外部資金の不透明さも問題になりました。ここで札医大の開学精神に立ち返らなければと、無給医局員と大学院生の待遇を改善し、医局制度を廃止して、医局単位で行っていた医師派遣の窓口を大学に一本化しました。これは大きな成果だったと思います。

     <大学から民間へ。地域の医療と福祉をトップとして支える>

     学長を6年務め、そろそろ引退という時期を迎えた04年。79年設立の医療法人渓仁会の理事長を引き継がないかと打診されました。渓仁会は創立者の加藤隆正理事長に先見の明があり、高齢者専門病院の開設や、民間ドクターヘリの研究運航、北米式の臨床研修、ISOマネジメントなど、先進的な取り組みをすでに行っていました。私は優秀なスタッフが安心して力を発揮できる環境を作り、民間病院でありながら公的な医療を提供する組織を支えることが、自分の使命だと考えたのです。

     課題は山ほどありました。まずトップが交代しても、運営に影響しない組織経営の体制作り。そして渓仁会の名前を安心と信頼のブランドとして定着させるため、医療や介護の質と経営の質の両方を高めること。経営が安定していれば職員は安心して仕事に打ち込めますし、その結果、患者さんや利用者さんが増えれば経営面のプラスになります。「医は仁術」といいますが、経営も大切なのです。

     渓仁会では人材ではなく「人財」と呼びます。職員一人一人が誇りとやりがい、一体感を持って働ける環境作りに力を尽くしました。医師の事務作業を補助する医療クラーク、病気の子どもとその家族をサポートするチャイルド・ライフ・スペシャリストといった新しい職種のスタッフを導入するなど、より緻密なチーム医療を充実させました。

     トップの顔が見える経営をと、職員と直接顔を合わせる機会を大切にし、各地の渓仁会グループ職員が集まり、職域を超えて交流する毎年恒例の職員研究発表会や、年間50回ほどある研修会には必ず出席しました。職員やその家族と一緒に地域貢献の一環として海水浴場の清掃活動を続け、35周年記念イベントにも職員の家族を招きました。仕事には家族の応援も必要です。

     企業は利益を追求するだけでなく、社会的な役割と責任を担い、持続的に発展すべきだと考える「CSR経営」の理念は職員のモチベーションを上げたと思います。コーポレートスローガン「ずーっと。」は、グループ全体に浸透しました。

     渓仁会は道内初のドクターヘリ事業で道民の皆様の支持を得て、医師会や行政、地域との関係も良好になり、地域医療支援、地域がん診療連携拠点、地域災害医療拠点など多くの公的な役割を担うようになりました。大学でも渓仁会でも精いっぱい改革に挑戦した日々は、私の誇りです。超高齢化時代の日本では、医療と保健、福祉の連携のさらなる強化が求められます。職員の皆さんの一層の活躍を期待します。


     ■人物略歴

    あきの・とよあき

     1935年樺太(現在のサハリン)生まれ。札幌医科大学大学院修了。同大医学部生化学第一講座教授、医学部長を経て、98年に学長就任。医局廃止や外部資金の透明化を行い、赤字経営だった付属病院を改革する。2004年に退官、同年より医療法人渓仁会理事長、渓仁会グループ最高責任者を務める。17年に名誉会長。北海道医師会賞、北海道科学技術賞、北海道功労賞を受賞。瑞宝中綬章を授章。

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