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毎日フォーラム・パラスポーツ

荒井秀樹(パラノルディックスキー日本代表監督)

金メダルを手に笑顔を見せる新田佳浩選手(右)と荒井秀樹監督=平昌メダルプラザで2018年3月17日

「情熱は磁石だ」 開拓者の挑戦は続く

 青空が包む3月17日の平昌冬季パラリンピック会場。ノルディックスキー日本代表監督、荒井秀樹(63)の笑顔がはじけた。距離男子10キロクラシカル(立位)で、愛弟子の新田佳浩(38)が2大会ぶりに金メダルを獲得したのだ。「信じた道をひたむきに歩けば、必ず多くの人や知恵が集まり、夢がかなう」。この信念を、荒井は改めてかみしめていた。

     距離スキーに出合ったのは、故郷の北海道旭川市。1950年代に国体教員の部で3連覇を果たした桑畠力松が地元中学校に赴任してできたスキー部に、2歳上の兄、荒井、3歳下の弟が相次いで入部した。時に氷点下30度になる旭川の冬。荒井は学校までの約4キロをスキーで通った。地元の旭川工業高に進学後もスキーを続けたが、家庭の事情で、2年生の時に一度は板を脱いだ。

     中央大経済学部に進み、卒業後、東京都江東区の職員になった22歳で大きな転機が来た。区に職員スキー部があった。山梨県内の病院に勤めながら、スキーを続けていた弟の誘いに加え、「雪のない東京で、距離スキーをやっている中学・高校生がいる」と知ったことで、「一緒に国体を目指そう」と現役復帰。区職員をしながら、選手を続けるために毎朝7キロ、昼休みに5キロ走った。終業後はジムなどで鍛え、週末も冬は新潟・妙高高原でスキーをし、夏場はマラソン大会に出場した。

     ジュニア世代を指導していた95年秋に二つ目の転機が訪れた。東京都スキー連盟の先輩の推薦で、約2年後の長野パラに向けた距離スキーの指導を引き受けた。日本代表選手を自ら選び、長野大会でメダルを取らせるのが任務だったが、翌96年1月に代表選手選考合宿を開くと、集まった約60人で、距離スキー経験者はゼロという前途多難な船出だった。

     1カ月後、別の先輩から「前年の全国中学校スキー大会で、隻腕の選手がいた」と聞いた。大会役員や関係先に電話で心当たりを尋ね続け、岡山県西粟倉村の中学生だった新田を探し当てた。荒井は、同年の世界選手権で隻腕のドイツ選手が優勝した映像などを届けた。しばらくして新田から「パラを目指します」と返事が来た。荒井は実技だけでなく、あいさつの仕方や家族に感謝の気持ちを持つことから新田に教えた。

     荒井の指導を受けたパラノルディックスキー日本代表は、98年の長野で金1、銀2、銅3のメダルを取り、今年の平昌まで6大会連続でメダルを獲得。新田も2002年のソルトレークシティーで銅、10年バンクーバーで金2個、平昌で金と銀を各1個勝ち取った。

     この間、選手たちの練習環境を充実させるため、荒井は50歳で日立システムアンドサービス(現・日立ソリューションズ)に転職。会社の理解を得て、実業団障害者スポーツチームの創設につなげた。今春に退職し、現在は故郷の大学や、社会人学生として大学院に通った早稲田大で教壇にも立つ。

     「情熱は磁石だ」と荒井は言う。18年平昌、20年東京、22年に北京と、アジアで五輪・パラリンピックが続く今、札幌がその後の開催地として名乗り出る意欲を見せている。

     荒井は「東京がゴールと思っている選手やスタッフが多いかもしれない。だが、本当は東京がスタート」。長野大会を機にスタートを切ったパラスキー界の開拓者は、まだまだ大志を抱き、未来への挑戦を続ける。(毎日新聞社オリンピック・パラリンピック室委員、山口一朗)=敬称略

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