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オウム真理教

7死刑囚、刑執行 惨劇忘れぬ 遺族「当然」「一つの区切り」

 一連の事件からおよそ四半世紀。「教祖」として事件を首謀したオウム真理教元代表、松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚(63)の刑が6日、執行された。事件の被害者遺族らからは「死刑執行は当然」と受け止める声が相次いだ一方、死刑囚の支援を続けた人たちは突然の刑執行に反発を強めた。警備当局は後継団体の今後の動きに警戒を強めている。

     ■地下鉄サリン

     地下鉄サリン事件で夫を亡くした高橋シズヱさん(71)は午前、東京・霞が関の司法記者クラブで記者会見した。「突然だったので、びっくりしました」。冒頭、率直に驚きを口にすると、執行について法務省から報道発表前に電話があったと明かし、電話口で揺れた胸中を明かした。

     電話では、執行された死刑囚の名前が告げられた。「(最初に)麻原の執行を聞いた時は、会見しないといけないなあ、と」

     報道発表前の連絡は求めていた一つで、「少しずつ実現している」と評価。死刑執行への被害者・遺族の立ち会いなど、他の要望も今後の実現を望む。松本死刑囚の死刑執行は「当然だ」と言う。自らに言い聞かせるように、「これも一つの区切りと思う」と語った。

     1989年に一家が殺害された坂本堤弁護士(当時33歳)の母さちよさん(86)は「長い時間だったなあと思います。亡くなった一家3人には、終わったね、安らかにねと言ってあげたい」とコメントした。【川名壮志、国本愛、小川直樹、中村宰和】

    「語ってほしかった」

     ■松本サリン

     松本サリン事件で亡くなった安元三井(みい)さん(当時29歳)の母雅子さん(81)は、6日朝のニュースで松本死刑囚らの死刑執行を知り、仏壇に庭の花を供えたという。

     富山市の自宅前で報道陣の取材に応じ、「何の落ち度もない娘がなぜ死んだのか、結局明らかにならなかった。死刑執行は当たり前だが、(松本死刑囚は)事件についてしっかり語ってほしかった」と悔しさをにじませた。【森野俊】

    24年、今なお苦しみ

     ■大阪・VX殺害

     大阪市でも1994年、会社員の浜口忠仁さん(当時28歳)が、オウム真理教の信者に猛毒の神経剤VXをかけられて殺害される事件があった。真相が語られることなく、教団トップの松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚らの刑が執行されたことに、父親は「悔しい。それだけです」と言葉を振り絞った。

     教団の宗教体験に参加した浜口さんは一方的にスパイと疑われ、出勤中に同市淀川区の路上で襲撃された。当初は病死と判断されたが、化学物質が検出され、松本死刑囚らの有罪が確定した。

     両親は95年、教団幹部に損害賠償を求めて提訴。母親は法廷で「オウムを絶対に許せない。息子の無念を晴らしたい」と涙を流して意見陳述した。3年後に1億円を超える賠償命令を勝ち取ったが、実際に支払われたのはごく一部だった。

     事件から24年。現場付近には新しいビルが次々と建ち、事件を知る人は少なくなった。死刑執行について、父親は「ずっと忘れようとしてきたのに……」と言葉少なに語った。

     訴訟の代理人で、被害対策大阪弁護団の事務局長も務めた杉本吉史弁護士(56)は「亡くなった人は戻らず、執行は一つの区切りに過ぎない」と思いやる。教団に殺害された坂本堤弁護士と司法修習の同期で、被害者支援に取り組んできた。被害者は今も苦しみ、遺族の生活再建などの課題も残る。「加害者も最初は純粋な気持ちで入信し、何の落ち度もない人が被害者になった。事件を風化させず、教訓を伝え続けないと」と訴えた。【宮嶋梓帆、高嶋将之】

    拘置移送、執行おびえ

     今回死刑を執行された松本死刑囚以外の6人は、それぞれの思いを抱えて拘置生活を送っていた。

     教団の「建設省大臣」だった早川紀代秀死刑囚の弁護人を務めた黒田純吉弁護士は刑が執行された6日、収容先の福岡拘置所(福岡市)を訪れ、報道陣の取材に応じた。黒田弁護士によると、3月に面会した際は「私はいつ(死刑)執行されるのでしょうか」と覚悟した様子で語ったという。死刑確定後も後悔と反省の思いを深めていた早川死刑囚は事件当時の心境を「麻原を人間以上の存在と信じ、命じられたことをためらうのは修行が足りないからだと思い込んでいた」と振り返ることもあったという。

     最古参幹部の一人だった新実智光死刑囚は4月、面会の弁護士に7人が東京から移送されたことについて心細い心境を吐露。自身についても「いつ執行されるか分からず、精神的に不安になっている」と話していた。

     松本死刑囚の主治医だった中川智正死刑囚は広島拘置所へ移送された後も、毒物研究の権威とされる米コロラド州立大のアンソニー・トゥー名誉教授と面会し続け、連名で執筆した論文が5月に学術誌の電子版に掲載された。トゥー氏は「自身の刑の執行が近いことを悟っているようにみえた」と語った。

     「修行の天才」と言われ、教団の「諜報(ちょうほう)省」トップだった井上嘉浩死刑囚は再審請求中だった。担当する伊達俊二弁護士は「1審は無期懲役で、最も執行から遠いと思っていた。今後は両親を請求人に再審請求を続ける」と話した。

     サリン製造に関わった土谷正実死刑囚は刑確定前、毎日新聞に手記を寄せた。被害者や遺族に謝罪し、松本死刑囚を2度目以降で「A」と略し「(逮捕後は)事件の悲惨な被害に対する罪悪感と、Aへの帰依心との間で葛藤していた」と明かしていた。

     地下鉄・松本の両サリン事件に関わった遠藤誠一死刑囚は全13人の死刑囚で最後の確定者だった。【石山絵歩、岸達也、平川昌範】

    井上死刑囚「責任は私ら信者に」 2月、石川の住職に手紙

     井上嘉浩死刑囚(48)は石川県かほく市の住職、平野喜之さん(54)と何度も手紙を交わし、面会していた。事件に対する後悔。被害者への謝罪。死刑執行の報を受けた平野さんは「彼は『罪を償いたい』と願っていた。彼の言葉を伝えることで、その遺志を引き継ぎたい」と語った。

     平野さんは井上死刑囚と同じ京都の私立高出身。共通の恩師を介して2006年冬に初めて井上死刑囚と面会し、手紙を交わすようになった。

     当初は、「麻原彰晃(松本智津夫死刑囚)に出会ったせいで罪を犯した」という被害者感情の方が強かった井上死刑囚だが、面会や手紙のやりとりを重ねるうち、次第に変わっていった。今年2月の手紙では事件について「麻原を妄信し善悪の判断を委ねたことで自分の言動に対する責任感を放棄してしまった」と振り返り、「責任は(中略)私にも一人一人の信者にもあります」とも書いた。4月の手紙では「麻原と同様のタイプの人物があらわれれば、当時と同じ事件が引き起こされるのは時間の問題」などと後継団体の動向を危惧していた。

     最後の面会は6月25日。井上死刑囚は平野さんに「麻原を教祖に祭り上げた責任がある。依存していたことは間違いない」と改めて語っていた。死刑執行を知り、平野さんが井上死刑囚の両親に電話をすると、母親は涙で声を震わせ、父親は「自分がしっかりしないと」と話していたという。【岩壁峻】

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