オピニオン

奥が深い観光学で日本を元気に 観光学部観光学科 教授
田中 伸彦

2014年8月1日掲出

~ 里山はワンダーランド 地域の魅力を見いだせ ~

 「観光立国」の実現が日本の新たな成長戦略となっている。昨年初めて1000万人を突破した訪日外国人旅行者(インバウンド)を、東京オリンピック・パラリンピックが開催される2020年をめどに年2000万人に増やす目標を政府は掲げる。21世紀の重要な施策となった観光産業の育成。その観光を学問として研究する「観光学」とはどんな学問なのか。また、社会にはどのように還元されるのか。東海大学観光学部の田中伸彦教授に聞いた。【毎日新聞社デジタルメディア局 小島昇】

 

 ――田中教授と東海大学観光学部との関わりは?

 観光学部が新設された2010年4月に、この大学に着任しました。それまでは、独立行政法人森林総合研究所(茨城県つくば市)で、生物多様性の保全と観光利用との調和や、持続可能な地域振興などの研究に関わっていました。

 21世紀以降、多くの大学に次々と観光学部や学科ができましたが、実は、日本には最近まで観光学部のように、観光を一括して研究する組織はほとんどありませんでした。そのため、観光研究者は、他のさまざまな学部や研究所に離散していたのです。私自身の事情を言うと、当時は幸か不幸か昇進し、研究所の企画・運営といった管理的な立場に置かれ、観光研究の現場から遠ざかりもんもんとしていました。その時、ちょうど観光学部の設置に加わらないかと声をかけていただきました。

 

 ――観光学を端的にご紹介いただけますか。

 観光学は、「地域管理学」と「経営学」という二つの大きな柱で構成されると説明できます。まず、観光で訪れる地域を「管理」する手法を身につけなければいけません。次に、そこで産業を興して、経済循環をもたらすために「経営」の論理を身につけなければいけません。管理も経営も、英語では「マネジメント」です。観光に関わる地域をどう管理するのか、企業や組織をどう経営するかという、二つのマネジメントを修めるのが観光学です。

 地域のマネジメントだけを学ぶなら、例えば工学部には都市工学科、農学部には農村計画学や森林学科があります。一方、企業のマネジメントを学ぶだけなら、それこそ経営学部や経営学科でいいことになります。観光は、その両方のバランスをとる力が必要なのです。どちらかの力が弱いと、車の両輪のいずれかが傾いてしまいます。両方理解する必要があるので、観光学部生は人より多くのことを学ばなくてはいけないはずです。

 

 ――ホテルやレストランで「おもてなし」するだけではないのですね。

 おもてなしも重要ですが、それだけでは大学の学びとは言えません。わたしは、「学生が迷子になる」とよく言っています。学問への興味が薄いまま、表面的な立ち居振る舞いや語学だけを身につけても観光の全体像が頭に描けず、自分の置かれた立場が把握できずに迷子になります。一方興味本位にあれもこれもと広く浅く手をつけるだけでは、自分の中に人に誇れる学問が残りません。観光学の中に自分の居場所がつくれないまま迷子になります。どちらも学問的には迷子です。大学で観光学を学ぶ際には、迷子にならないよう気をつけなければいけません。

 観光学を説明するもう一つの方法に、「『現象』と『産業』の理解」というのがあります。観光が成立するためには、人と目的地の存在が不可欠です。観光とは、人が「居住地」と「目的地」を行き来する現象です。なお、両地の間にはトランジットする「立寄地」があります。観光学ではこの三つの場所で、どんな現象が起きているのかを解明しなければなりません。

 また、産業に目を向けると、居住地にはツアーやチケットを販売する「旅行業者」、目的地にはホテルや旅館などの「宿泊業者」、立寄地には空港や駅を管理する「運輸業者」がいます。この三つがいわゆる観光の主要3業界です。3業界を中心に、現代の観光産業は展開されています。つまり、観光という現象に呼応した産業をどう育んでいくのかを理解するのが観光学です。

 日本では、かつて観光行政を旧鉄道省の流れをくむ旧運輸省が管轄していました。ただ運輸だけでは均衡ある観光の発展には不十分です。多くの産業に幅広く目を向けるため、2008年に観光庁が発足しました。観光庁が、今後所掌範囲を広げて、日本の観光行政を推進していってほしいですね。

 

 ――国際的に見ると日本では観光学の研究が遅れているそうですね。

 特にホスピタリティー「経営」学の分野では、欧米などとは相当の差があるようです。最近「観光文化」という雑誌でも指摘されたのですが、我が国のホスピタリティー経営学では、普遍性のないベテランの勘や経験に基づくノウハウや、古い理論の焼き直し、統計の初歩しか活用しない研究など、欧米的には1970年代の水準にとどまる内容が、いまだに学問として流通していると批判されています。

 日本は製造業で発展したため、車や家電など「ものづくり」の経営学が主流でした。そのため、観光のようなサービス産業の経営学があまり顧みられない風潮ができてしまったのですね。ようやく今年になって、政府の新たな成長戦略に、サービス産業の生産性を高めるための大学教育を推進することが盛り込まれました。今後は、サービス経営の人材育成が進むと期待しています。

 

 ――日本では、歴史的にどのように観光が行われてきたのでしょうか?

 元々、日本では江戸時代に「一生に一度はお伊勢参り」というように長期旅行の習慣がありました。大正時代も観光は華やかでした。それが、太平洋戦争で一度しぼみます。戦後まもなくは生活の立て直しが大変でしたが、高度経済成長の時代になって、会社の団体慰安旅行のような娯楽一辺倒の観光が根づきました。個人旅行が主流化した現在も、余暇は娯楽中心がおしゃれで、自分を高める活動はダサいという風潮が、若者を中心に根強い気がします。

 

 ――田中教授の研究分野の「自然環境(森林)計画学」とは何ですか。また、もうひとつの専門の「レジャー学」は、観光学でどう位置づけられるのですか。

 森林学、特に森林風致計画学が私の学問の原点です。国立公園のような美しい風景地や、森林公園などのレクリエーション地を計画する学問です。日本は国土利用計画法で、国土を都市地域、農業地域、森林地域、自然公園地域、自然保全地域の五つの地域に分けています。このうち、後者の四つを観光的観点から管理する手法を研究していました。森や自然は観光だけに使うわけではないので、農林水産物の生産や治山、水源かん養、生態系の保護など、多面的機能とのバランスを考慮した計画が必要です。

 レジャー学は、日本人にこそ、もっと知ってもらいたい学問分野です。自分の自由裁量時間を、人間としていかに充実したものにするかを考える哲学・思想を基礎とする学問です。エコノミックアニマルの日本人が、人間らしく暮らし直すために欠かせない学問だと思います。

 大学教育でも、日本では、レジャー学は観光学の一つの小さな分野と思われがちです。しかし、例えば英国の高等教育では、「HLST+E」と整理しています。ホスピタリティー(Hospitality)、レジャー(Leisure)、スポーツ(Sport)、ツーリズム(Tourism)とイベント(Event)の五つの学問です。ツーリズム(観光)は、レジャーの上位概念ではなく、レジャーと並列する一つの分野にすぎません。日本ではレジャーは単なる娯楽として受け止められがちですが、欧米では、娯楽・休養・自己啓発を含めたトータルな人間形成のために必要な、基本的な学問だと重視されています。

 

 ――森林や里山といった自然を、観光と結びつけて考えるツーリズムはなぜ重要なのでしょうか。

 今、日本の観光施策で求められているのは、たくさんの外国人を迎えて観光で利益を得ることです。昨年インバウンドで1000万人を達成したので、今度は2000万人にといった感じです。観光で外貨を獲得するのです。ただ、今の外国人観光は東京に入り、富士山経由で、京都を散策して関西国際空港から帰国するような「ゴールデンルート」が主流です。お金は、東京や京都に落ちますが、そこから先をどうするかが課題です。

 お金の循環は、血液の循環のようなものです。心臓から毛細血管まで血が巡っているから人は健康に生きられます。ゴールデンルートはいわば心臓や大動脈です。日本が健康でいるためには、毛細血管である片田舎にもお金を巡らせる必要があります。昭和時代にはお金を流すために地方に工場を誘致しましたが、今、期待されているのがツーリズムです。東京で得たお金を、地方に循環させるのです。地域にお金を流して波及効果を生むために森林や里山を活用します。

 もちろん外国人だけではなく、観光で稼いだ都会の日本人が田舎へ国内観光しても、お金が循環します。多くの観光客を引きつける名所旧跡やパワースポットは至る所にはないので、里山に注目するのです。山とそこに流れる川。里に住む人。里山の魅力を明らかにして、一定数の都会人が里山と交流する体制をつくらないと、日本は潰れていってしまいます。

 日本では、明治時代に西洋人が入ってきて、登山やキャンプ、海水浴など自然に親しむ活動を持ち込みました。そして昭和50〜60年代に農家が減って、自然と触れ合うこと自体がツーリズムとして成立し、平成になって加速します。普通の里山でも、アイデアひとつで人が訪れるようになりました。里山や森林を観光に結びつける研究をしっかりやって、地域が無理せず疲弊せずに暮らせる基盤を整えるのです。そのためには、目的地の自然を理解し、感じて、面白いと伝える、あるいはその魅力をつくってくれる人材を育てなくてはいけません。一見地味ですが、日本の観光学として強く求められている人材です。

 

 ――観光学を学ぶことは、私たちの職業や暮らしとどのように関わってくるのでしょうか。

 都市計画の専門家や企業経営のスペシャリストはたくさんいます。でも、観光に焦点を当て、みんなで手を取り合って地域を管理し、会社経営にアドバイスできるような、全体への目配せがきく良い人材は十分にはいません。例えば、旅館業はいまだに中小企業が多く、経営のノウハウや地域内連携が弱いために次々と消えています。本来であれば日本という文化を最も代表する業種であるにもかかわらずです。観光地や観光産業を、しっかりつくり直さなければいけないのです。

 また、観光学の究極の意義は、人生を豊かにすることです。日本人には、レジャーとかレクリエーションに対して変な心のしばりがあります。先ほど言ったとおり、日本のレジャーは娯楽一辺倒です。でも、レジャーとは実はそうではありません。自分の自由裁量時間に自分をよりよく生かし、いい人生を暮らすためにどうしたらいのかと考えるのは、とても大切なことです。人生80年で約70万時間ありますが、働いている時間はせいぜい10万時間。これに対して余暇時間は3倍近くの30万時間弱あります。自由裁量時間に何をしたら幸せなのか、そのスキルを高めることのほうが、仕事のノウハウ獲得よりも、人生にとってはよっぽど大事ではないでしょうか。

 ところで、5年前にしたパチンコ遊びや宴会は覚えてないけれど、パリやバンコク、香港に行った旅行なら覚えていますよね。人生の中でいつまでも長く記憶に残るレジャーが観光です。観光学を真剣に学ぶと、観光の大切さがわかり、本当に充実した人生を送れるようになりますよ。

 

 ――東海大学観光学部・観光学科の特色をお聞かせください

 1学部1学科で、1学年200人以上が学んでいます。「観光文化」「サービス・マネジメント」「レジャー・レクリエーション」「地域デザイン」の四つの分野を設定し、自由に選択できます。3年次からの必修卒論ゼミはある程度の専門性がありますが、1、2年次生はモラトリアムです。入学時に「大手旅行代理店に入りたい」とか「キャビンアテンダントになりたい」と言っていても、モラトリアムの間に「一番やりたかったのは実は地域デザイン」だったと気づく学生も少なくありません。いろいろな科目群から自由に選択させ、最終的にどの分野のスペシャリストになりたいのかを決めてもらいます。自分に合った学びのスタイルがとれると思います。

 

 ――2年次生から学外実習があるそうですね。

 アメリカや西表など、国内外を問わず実習・研修であちこち出かけています。インターンシップ先も50社を超えています。インターンシップではありませんが、1年次には夏休みにANA(全日本空輸)グループの職場訪問などができます。体験メニューは豊富です。

 

 ――卒業後の主な進路はどのようなところになりますか。

 どこの観光学系大学もそうなのですが、旅行や運輸、宿泊系が多くて3割ぐらいでしょうか。それ以外では、サービス業界や役所、地域コンサルタント、ブライダル、銀行への就職もあります。

 

 ――ご自身はどんな学生生活でしたか。

 農学部の林学科にいたので、森に関するあらゆる勉強をしていました。トータルで年に2〜3カ月は山に入って実習や調査をしていました。木の成長を測り、砂防ダムの設計もしました。木の種類を覚え、アブラムシの観察もしました。合宿で寝食を共にした同級生には隠し事もできないので、とても仲良くなります。今もしょっちゅう同窓会で集まっていますよ。

 

 ――今の研究分野に興味を持ったきっかけを教えてください。

 自然は好きでした。茅ケ崎の海辺で育ったので、山を目指しました。全く論理的ではありませんね(笑い)。国立公園の自然保護レンジャーになりたくて、国家公務員試験も受かっていたのですが、結局大学院に進んだら研究が面白くなって森の研究所に行きました。研究者に転身したのは、調査したことを論理的に書いて後世に残すことに魅力を感じたからです。研究は積み重ねで、先人の成果の上にちょっと私が載せて、またその上に研究が積み重なっていく。そのダイナミズムが好きです。

 

 ――今後取り組んでいきたいテーマは、どんなことでしょうか

 観光学をきちんと体系化していくことですね。本当は、自然地域を観光する「ネイチャーベースドツーリズム」の研究を集中してやりたいのですが。今は放っておくと村が消えてしまう時代なので、「里山資本主義」のように「むら」を総合マネジメントする研究が必要だと考えています。そのために、まず観光学を体系化し、次に日本の里山や過疎地域に、「人」と「お金」と「楽しみ」が循環するシステムどう起こすか、そのためには何が必要なのかを探る研究を進めたいです。

 

 ――最後に学生や若者へのメッセージをお願いします

 観光学は奥が深い学問です。観光という活動を通じて人々が幸せに暮らすための仕組みづくりです。コミュニティーに入って人を動かす、そういうことに興味のある人にたくさん来てほしいと思います。東海大学観光学部のキャッチフレーズは「ムーブ:人を動かすって面白い」です。「今まで気がつかなかったけど、ここって本当に面白い」、と地域のすばらしさを発見して、ほかの人に伝えていく。それが観光です。里山は人によっては何にもないつまらない場所に映るかもしれませんが、わかる人にはこの上なく面白いワンダーランドです。そうした地域のすばらしさを見いだす力を養ってほしいですね。

 

観光学部観光学科 教授 田中 伸彦 (たなか のぶひこ)

1966年生まれ。東海大学観光学部観光学科教授。東京大学農学部林学科卒業、博士(農学:東京大学)。農林水産省森林総合研究所研究員、林野庁研究・保全課研究企画官、独立行政法人森林総合研究所上席研究員などを歴任し、2010年より現職。専門は、観光学、森林風致計画学、造園学、レジャー・レクリエーション学。 東京都農林漁業振興対策審議会専門員、茨城県つくば市緑の基本計画策定委員会委員、林野庁林業普及指導員資格審査試験委員などを歴任。現在、国際森林研究機関連合(IUFRO)6.03自然地域観光部門副委員長や日本レジャー・レクリエーション学会常任理事、農村計画学会評議員、日本造園学会関東副支部長などを務める。 [主な著書]「丹沢の自然再生」(分担執筆:J−FIC)、「教養としての森林学」(分担執筆:文永堂出版)、「魅力ある森林景観づくりガイド」(編著:全国林業改良普及協会)など