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山は博物館

それは戦時下だった/4 高野山予科練生がボート特攻

海軍飛行予科練習生の高野山海軍航空隊が置かれた高野山=本社ヘリから加古信志撮影
特攻ボートの震洋=大和ミュージアム提供

 <くらしナビ・環境>

     真言密教の聖地も戦争とは無関係でいられなかった。和歌山県の高野山には海軍飛行予科練習生(予科練)が駐留し、ラッパと号令の声がこだました。あこがれの飛行機乗りを目指して基礎訓練を受けていたが、意に反して小型ボートで敵艦に突っ込む特攻兵を送り出すことになり、10代の若者が志願するかどうか即断を迫られた。

     空海が開いた高野山は、標高約800メートルの山頂部に金剛峯寺(こんごうぶじ)など約120の寺院や商店が街を作っている。兵舎にするため50以上の宿坊に目を付け、三重海軍航空隊の分遣隊(後に高野山海軍航空隊)として予科練が置かれたのは1944年8月15日。半月で2000人近くが入り、その後も入隊しては数カ月で卒業して終戦までに約6000人が過ごした。飛行機に乗るのは訓練の最終で、それまでの「課業」は信号や銃剣、軍制、陸戦なので山でもできた。

     規律は厳しく、練習生は失敗や怠惰の制裁として、木の棒で尻をたたかれる「バッター」を何度も受けた。無量光院住職の土生川(はぶかわ)正道さん(86)は弟子入りしていた三宝院で、練習生がなげしにぶら下がってセミの鳴きまねをさせられるのを見た。つらくて本当の泣き声に変わり「寺にはその涙と汗が染みついている」と話す。山が軍に使われたのは「当時は与えられた務めだったろう」という。その三宝院に45年4月から寄宿した水戸市の大谷岩男さん(87)は当時14歳。顔を殴られる「アゴ」も怖かった。靴下が無くなり、罰を恐れて班長にたばこを譲ってこっそり替えをもらったことを覚えている。

     特攻ボートに乗るか、練習生が突然問われたのは44年12月13日。約700人が集められ、隊長は「航空機搭乗訓練の苦労は察するが、戦況では搭乗は困難。必死、必殺の水上特攻兵器が完成した。尽忠報国の一念さえあれば、兵器を問わない心構えを」と求め、特攻を熱望するなら用紙に◎、希望は○、希望しないは×と記入するよう命じた。

     兵器とは「震洋」だ。第1震洋隊は既に10月、小笠原諸島・父島の守備に就いていた。爆弾を積み、上陸をもくろむ敵の戦艦に体当たりするが、この時は説明がなかった。

     指導部員の手記によると、希望しない者も少なからずいた。それを上官から聞いた教員は「おじけづいたのではなく、次は飛行機の特攻の募集があるかもしれないと思うからだ」とかばった。ただ軍の飛行機は残り少なく、震洋に乗らなくても「棒地雷」を抱いて敵戦車などに突っ込む作戦が立てられ、どのみち飛行機には乗れない運命だった。

     再考の時間が与えられ、結局は全員が「熱望」したという。ある練習生は自宅に出した手紙に「笑って大君の御楯(みたて)となる。命より名こそ惜しけれ。犬死をいとい、よき死に場所を望むのみ」と書いた。特攻要員は翌年1月まで順次、乗船訓練の基地がある長崎県川棚町へ出発した。

     震洋隊は1隊が30~50隻程度で、基地要員も含めて約200人。最終的に110隊余り編成され、フィリピンなどにも配置されたが、出撃はわずかで戦果も少なかった。多くは基地や基地への移動中に攻撃されるなどし、約2500人が戦死したと言われる。

     45年になると、高野山は本土決戦の基地とされた。トンネルに弾薬や食糧を保管し、敵の上陸を想定しての戦闘訓練が増えた。終戦を迎えると、武装解除に来た連合軍に文化財を略奪されるのを恐れ、1カ月前に解隊したことにして練習生を早々に復員させた。備蓄品は和歌山県内に配り、医薬品は現在の高野山総合診療所の運営を支えた。練習生の適性をみる部門があった本王院には軍艦旗などが残っている。【荒木涼子、去石信一】=次回は8月8日掲載


    比叡山に練習機発射基地

     一方、延暦寺がある比叡山(848メートル、京都府・滋賀県)には、海軍の新特攻機「桜花四三乙型」の練習機発射基地が建設された。長さ60メートルのレールから飛び出す構造だが使われず、跡地は1958年開通の比叡山ドライブウェイの建設時に埋められた。滋賀県の高校非常勤講師の水谷孝信さん(62)は「何も残されず、史実を後世に伝えるのが難しい。当時は戦争にふたをしたい、観光で地域を盛り上げたいという気持ちだったのかもしれない」と話す。

     「四三乙型」はターボジェットエンジンで加速後、滑空して敵に突っ込む設計だったが、終戦までに完成しなかった。実機の発射基地は45年7月、茨城県の筑波山(877メートル)や静岡県の熱海峠(630メートル)、三重県の朝熊(あさま)山(555メートル)など7カ所に計画。敵の上陸が目前の九州に設けるのが順当とはいえ、激しい空襲のため建設が困難で、本州方面の防御が優先された。

     試験飛行に進んだジェット戦闘機「橘花(きっか)」の搭乗員養成基地建設の構想もあった。検討された筑波山は資材を運び上げるケーブルカーがなく、生駒山(642メートル、大阪府・奈良県)はケーブルカーのトンネルを機体が通れず断念した。【荒木涼子、去石信一】

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