オピニオン

PM2.5からシックハウスまで学際的に“空気”を研究 理学部化学科 教授
関根 嘉香

2014年5月1日掲出

 日本国内への越境汚染が大きな話題になった中国の粒子状物質PM2.5の大気汚染問題や住宅の建材の化学物質が原因といわれるシックハウス症候群など、空気の汚染について多くの関心が集まっている。目に見えない空気の汚染物質の測定から汚染原因対策まで幅広いテーマで研究する理学部化学科の関根嘉香教授に話を聞いた。【毎日新聞社デジタルメディア局 仲村隆】

 

 ――研究室のテーマとして掲げられている「空気質のガバナンス」とはどういったことなのでしょうか。

 空気は我々が生きていく上で重要で欠かせないものです。人は誰でも健康で快適に安全な空気を吸うことができる権利があります。でも、空気は私たちがいる場所にあるものを吸うしかなく、水や食物と違って選ぶこともできません。また、空気は意識できるものでないため、目に見えない環境汚染物質に汚染されていると思わぬ健康被害が出てきます。私たちの研究では、目に見えない空気の状態を科学的な手法で調べ、対策を取っていきます。

 この科学的なアプローチで、空気汚染の測定から汚染のメカニズムの解明や環境保全技術の開発を進めているわけですが、空気汚染問題は、身近な住宅で起こるシックハウス症候群からPM2.5など大気汚染物質が国境を越えて移動するもの、地球温暖化の原因となる温室効果ガスなど、対象は幅広いものです。

 その予防や解決のためには、化学を中心に医学や建築学、気象学など科学的なアプローチだけでなく、経済学、法学、政治学、政策学などの研究者にご協力いただき社会科学と連携しながら社会のシステムとして基盤を作っていく「空気質のガバナンス」が必要だと考えています。

 

 ――中国の大気汚染についての研究については。

 中国の主要エネルギーは石炭です。各地で石炭を燃やすことで発生するばいじんや硫黄酸化物などの大気汚染が問題になっています。私は、1990年代から慶応義塾大学の出身者でつくる学際的な研究グループに参加し、四川省や遼寧省といった中国内陸部で大気汚染についての研究を進めました。これには、化学、医学といった分野の研究者だけでなく、経済学など人文科学系の研究者も参加して、原因の解明から行政機関などが実際に対策をとれるよう政策提言なども行っています。

 私の研究室では、大気中に含まれるPM2.5などの微粒子成分やガス成分の観測を実施してきました。中国の経済発展やマイカーの増加などのライフスタイルの変化に伴う都市の大気の変化と、将来の変化を予測するための研究を進めてきています。

 また、石炭を改良し、硫黄酸化物の発生を低減する脱硫技術「バイオブリケット」の製造実験にも参加しています。中国に普及した場合の低減効果を予測して、行政への導入を働きかけました。しかし、一度は歓迎され、2カ所で工場までできたのですが、中国政府が石炭から石油へエネルギーの転換方針を示したことで、一転して不採用となってしまいました。このところのPM2.5問題の高まりは、中国政府の方針とは裏腹にいまだにエネルギーの大半を石炭に頼っている現実を示したものです。

 現在では、中国が石炭から天然ガスにエネルギー転換した場合の大気中のPM2.5の濃度がどれくらいになるかのシミュレーションを行う大きなテーマを扱う一方で、PM2.5を集めて、触媒で無毒化してしまおうという研究も行っています。

 

 ――現在の建物や住宅は省エネルギー対策などで高気密化されたことで、住宅の建材などに使われる化学物質が原因と言われるシックハウス症候群が社会問題化しています。

 シックハウス問題は1996年に国会で取り上げられ大きな社会問題となりました。当時は、私のところで臭いを取るための脱臭触媒の研究をしており、原因物質となるホルムアルデヒドを乾電池などに使われる二酸化マンガンを使って常温で、水と二酸化炭素に完全分解できる現象を発見しました。その発見を基にシックハウス問題の解決に応用できないかと考え、実用化することに成功したのです。2000年ごろにはシックハウス対策専用の空気清浄機を製品として世の中に送り出しました。

 

 ――大気汚染物質を簡単に測定できるパッシブ・サンプラーの普及に向けての開発を進められているそうですね。

 空気中の汚染物質の測定は、専門家が大きなポンプを抱えて空気を採取するのですが、空気は目に見えず、風や換気で容易に移動してしまうため、採取が大変なんです。そのために注目されているのがパッシブ・サンプラーで、その開発を進めています。元々は1970年代に英国で開発されたもので、人の指くらいの長さのものです。部屋の中にぶら下げておけば受動的にサンプルを集めてくれるという便利なツールで、本体の中には、調べたい物質の吸着材が入っており、小型・軽量・電源不要でいつでも、どこでも、だれにでも(ユビキタス)簡単にセットできる空気測定器です。

 吸着材を変えれば、何十種もの汚染物質を測定することができます。それに、コストは従来の3分の1に抑えることができるので、シックハウス症候群の対策など幅広く活用されています。

 

 ――パッシブ・サンプラーを人の健康状態の診断などにも応用されているとのことですが、その際に測定する生体ガスとはどんなものなのですか。

 要は体の臭いです。臭いで患者さんの健康診断をしようという試みです。お医者さんが患者さんを診るときに、臭いで患者さんの様子を知るということが昔から知られていますが、これを科学的に調べようというものです。使っているのは、パッシブ・サンプラーで、患者さんから出てくる微量のガスを集めて、分析します。

 一例で言うと、飲酒の有無のケースです。飲酒の有無は呼気の中に含まれるアルコールで判断していますが、アルコールは短時間で検出できなくなります。しかし、アルコールが分解されて皮膚表面から出てくるガスは長時間検出されるため、12時間たっても測定できます。これを学会で発表したら、警察の専門部門の方からも問い合わせをいただきました。

 また、本学の医学部と共同で研究していますが、やけどの治り具合の状況把握に応用できないかという研究も進めています。また、吸着剤に特定の物質が検出されると色が変わって、目で確認できる技術の研究もしています。

 

 ――東日本大震災や福島第一原発事故で研究の関わりがあったと伺いました。

 事故で原子炉から放出されたと思われる空気中の放射性物質の粒子を国内で初めて観測しました。黄砂の観測目的で採取をしていたところ、事故後の2011年3月13日、15日にセシウムやヨウ素、テルルなどの放射性物質の粒子を検出しました。

 空中の放射線の量を調べる「空間線量」は各地の測定ポイントで調べられていますが、放射性物質の粒子そのものを定点でモニタリング測定しているところはほかにありませんでした。放射性の粒子は、大きさによって鼻にとどまるのか、肺まで達するのかで内部被ばくなどに大きく影響しますが、ほとんどが直径1マイクロメートル(マイクロは100万分の1)で、のどや肺に達する大きさでした。

 また、宮城県内の仮設住宅でのシックハウス症候群の原因物質調査を行っています。11年6月には、1地区の仮設住宅でホルムアルデヒドなどの汚染物質の実測調査を実施し、行政機関などへの仮設住宅の室内空気汚染対策の重要性を訴えました。

 

 ――専門の環境化学に興味を感じられたきっかけは。

 高校生の時にテレビで見た地球温暖化やオゾン層の破壊、南米アマゾンの森林破壊のドキュメンタリーに衝撃を受け、環境問題に興味を持ちました。当時の私は文芸同好会に参加するなど文科系の学生でしたが、解決のために何ができるか考えた結果、化学の道を選ぶことになりました。大学進学では当時、「環境」の名前が付く環境関連の専門学科が少なかった覚えがあります。

 大学の卒業研究で行ったテーマが、今ではよく話題にのぼる中国の大気汚染問題でした。大気汚染が日本まで来るのかということを研究していました。私の指導教員が中国の環境汚染が専門だったのですが、私も参加させていただいて、当時は、「越境大気汚染」と表現を使うと反発が大きかったので、日本に飛んでくる黄砂の研究と称して、工業由来の大気汚染を研究しました。

 その後、90年代に予測を立てたんです。みなさんがペットボトルの水を買ったり、水道の浄水器が広く普及した時代です。水にお金を払うのなら、そのうちに空気にお金を払う時代が来るだろうと思いました。空気を測ったり、きれいにする技術に需要が増えていくだろうと狙って、研究を進めてきました。

 

 ――研究室の特徴を教えていただけますか。

 私は大学を出て、9年間の企業経験がありますが、その経験から今でも大きな影響を受けています。大学の研究者は論文で発表することがとても重要です。論文にすることも研究者の役割ですが、研究者の社会への貢献として、製品として社会に出すことも一つの役割ではないかと思っています。「基礎から応用まで」といいますが、私のところでは「基礎から応用、さらに実用まで」と、よく学生に言っています。

 学びの領域といいますか、専門の化学は当然ですが、他の分野とコラボレーションしながら問題解決していくことを目指しています。また、研究の対象範囲が中国の大気汚染、シックハウス、生体ガスと、それぞれ分野が全く違うように見えるかもしれませんが、基本的な手法は変わりません。基本的な環境化学の技術をアレンジしているだけに過ぎません。他大学の化学系の学科と比較すると、かなり個性的かもしれませんが。

 

 ――学生さんたちに言っていることはありますか。

 「難しいことを難しいままに説明しては駄目」とよく言っています。プレゼンテーションの問題ですが、いろんな方に理解していただくためには、相手に合わせて説明しなければ分かってもらえない。他の専門分野と協力して研究していくためにも、必要なことだと教えています。化学の研究室は、黒板に難解な化学式ばかりが並ぶというイメージがありますが、私のところでは、化学式があまり出てこない化学の研究室として知られているようです。

 

 ――今の学生さんについてどう感じていますか。

 「自分で自分の可能性にふたをしてはいけない」ということを伝えたい。今の学生さんは、ある意味で大人っぽいというか、達観しているようなところがありますね。食わず嫌いせず、ぜひ、チャレンジする気持ちを持ち続けて欲しいと思います。

 

理学部化学科 教授 関根 嘉香 (せきね よしか)

1966年東京都生まれ。慶應義塾大学理工学部、同大学院理工学研究科修了。日立化成工業株式会社に勤務。1993年東海大学大学院理学研究科にて理学博士号取得。2000年より東海大学に勤務、2011年より現職。専門は環境化学、環境鑑識学。室内環境学会理事、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科非常勤講師。主な受賞歴は環境化学技術賞(日本環境化学会)、松前重義賞(学術部門)(東海大学)、室内環境学会賞・論文賞(室内環境学会)、Teaching Award(東海大学)。著書に『Human Insecurity in Asia』(国連大学出版)『品質管理の統計学』(オーム社)など多数