オピニオン

「平和のための基礎体力」構築をNGO通じて「世界的市民」に 政治経済学部政治学科 教授
中沢 和男

2013年9月2日掲出

 エジプトの軍事クーデター、シリアの内戦、モンゴルのマンホールチルドレン--。世界各地から紛争や環境破壊、貧困といったニュースが絶え間なく流れてくる。私たちはそれらをどう捉え、どのような行動をとればよいのだろうか。東海大政治学科の中沢和男教授に現代社会における国際協力のあり方について聞いた。【聞き手・デジタルメディア局 江刺弘子】

 

 ――国際協力という考え方はいつごろから生まれたものですか。

 産業革命以降のヨーロッパは、物流や交易が盛んになるにつれ、国境が妨げとなって、郵便や鉄道など暮らしに必要なものに不都合が生じてきました。国境を越えて流れるライン川では、航行に際してそれぞれの国や領邦で税金を徴収されます。そこで川を国際的に管理したり、郵便物を同一料金にしたりと、交通や通信、長さや重さの単位などきわめて生活に密着したことを徐々に統一し、それを管理する組織ができあがってきました。

 交通や通信といった生活に密着した事案で国際的に協力しあうというのは、経済や生活が国境を越えて行われているところでは特別なことではなく、当たり前のことです。

 今日では、国際協力は政治的な意味でも当たり前のことです。国際社会の一員として、いわば国際法で結ばれた国々が「同士」として協力するのは当然だからです。ただ支援の方法となると簡単ではなく、そこに難しさがあります。

 

 ――日本の国際協力の現状はどのようなものですか。

 NGOに関してお話しさせていただくと、資金力の弱さが気になります。2010年度の国民1人当たりの援助実績は6.1ドルで、途上国支援を行っている国の集まりであるDAC(開発援助委員会)23カ国中16番目です。ODA(政府開発援助)に占めるNGO補助金も1.3%で、これも12番目です。

 NGOは財政基盤がよくない中、発展途上国で政府機関がためらうような現場にまで足を踏み入れ、そこで現地の人々の立場に立った、本当にいい仕事をしています。

 

 ――NGOの活動は、金銭や物品の援助といった直接的なものから、教育支援など内容も拡大していますね。

 当初は緊急支援が中心でしたが、今では小さな社会に入って地域を活性化させ、学校運営の手伝いや役人との間に立つなど、さまざまな活動をしています。途上国では最低賃金や貧困のための法が整備されていても、現地の人は知らないといったケースも多く、NGOが村と役人との間に入って、村民が社会的能力をつける手助けをしています。

 NGOは国民が支えていくべきものです。個人的な意見ですが、私たち国民は生涯にわたって、貧困とか教育など自分の関心のある分野で、1つか2つのNGOの活動を支援していくべきでしょう。

 自らが支援するNGOを通じて途上国の人々の生活を知り、途上国の人々とつながるべきだと思います。学生には、NGOが開く報告会やセミナーに参加したり、NGOが提供するプログラム等を利用してその活動現場を体験することを勧めます。

 最近の日本はひところよりもNGOへの関心が減ってきているように感じます。しかしNGO関連の情報は充実してきており、その気になれば、国内や世界にどのようなNGOがあり、どのような活動をしているかは、インターネットで簡単に調べることができます。国際協力NGOセンター(JANIC)は途上国で活動する日本のNGOに関して多くの情報を提供しています。

 

 ――私たちが国際協力に関わるうえで、注意すべきことはありますか。

 よく学生が現地での井戸掘りなどを想定して、「体力には自信があります。向こうでバリバリ働きたい」なんて言うことがあります。しかし人並み以上の体力は必要ないのです。井戸を掘るにしても、日本から何もかも働き手まで用意してしまうと、現地の人々の働くチャンスを奪うことにもなります。あくまでも後方から足らない部分を補うという姿勢が重要です。支援の現場では、むしろ帳簿がつけられるとかきちっとした文章が書けるといったごく普通の実務能力や広い意味でのコミュニケーション能力が求められています。

 また何気なく行うことが、NGOの活動現場にもめごとのタネをまいてしまう可能性があります。かつてアフリカのある学校を訪れた時に、案内してくれたNGOの職員から消しゴムやボールペンをあげるなら子供たち全員に、写真を撮ったら、あとで必ずそれを送ってやってほしいと言われたことがあります。自分の周囲に来た子供たちにだけささいなものだからと考えて安易に物を与えると、後でもめごとになることがあるのです。一生のうちで数回しか写真を撮る機会がない地域では、撮ってもらった写真を心待ちにしています。こちらは気軽にシャッターを押しても、子供たちの方はそうではないのです。

 善意でやったつもりが、想定外の結果に終わることもあります。たとえば、現地の権力者が提供してくれた土地に村民のためのトイレを作ったのですが、支援したNGOが去ってしまうやいなや、その権力者が村民にトイレの使用料を請求したという話があります。

 支援の仕方は本当に難しく、今でも「これだ」という決定打はありません。自己満足に陥らないよう、つねにこれでいいのかと自問自答し続けるべきだと思います。また現地で長く活動しているNGOの人々から多くを学ぶべきでしょう。

 よく欧米には寄付の文化があり、日本にはないといわれます。しかし欧米では宗教がらみの寄付も多く、そういったことが少ない日本の寄付は「本当の善意」からのものであるかもしれません。

 

 ――国際協力にご興味を持ったきっかけは何ですか。

 もともとは安全保障や紛争に関心をもっていましたが、大学時代に「機能的アプローチ」という考え方に出会いました。「機能的アプローチ」とは、決して仲がよいとはいえない国同士が、まず1つ2つの特定の共通利害で結ばれ、小さく結合する。この小さな結合を少しずつ増やしていけば、そこから生まれる利益や信頼関係が蓄積されて、中長期的には紛争のタネを芽吹かせないようなよい関係を作ることができるという考え方です。

 紛争を芽吹かせず、このタネをからめとる。一見地味な方法のように思えますが、戦争や紛争という「毒素」に国や国民がおかされないようにするための、いわば平和のための基礎体力作りに関心を持つようになったのです。

 

 ――中長期的な人材育成が必要とはいえ、紛争のニュースを見聞きすると、「今すぐにでも何とかできないか」と考えてしまいます。

 少なくとも国内の政治闘争や権力闘争に関しては、当事国の国民にゆだねるべきです。介入しても、最後まで面倒を見ることはできないし責任もとれず、結局ひっかきまわすだけで終わってしまいます。紛争の一方の当事者を力でねじ伏せて、「民主的」な選挙を実施させても、半年や1年たつと、報復戦争が始まったりします。

 国の体制をひっくり返すような荒療治を、今の国際社会に求めるべきではありません。そんな能力はないのです。日本に求めたいのは、そうした能力をもつと過信しがちな大国を牽制し、大国と紛争国の仲介役に徹することです。

 

 ――エジプトで再び衝突が起きました。ミャンマーやイラクなど世界各地で「民主化」は課題でありながら、うまく実行されていません。

 欧米の選挙システムをそのまま導入することが、民主化では決してありません。共通の言語をもたず、あるいは多様な民族が集まって1つの国家を形成している場合には、「選挙」の導入が逆に紛争のタネになってしまいます。

 ルワンダでは1994年にフツ人とツチ人の間で80万人から100万人ともいわれる大虐殺がありました。この虐殺は直接的には中央での権力闘争に「民族」が動員され、政治利用されたことから引き起こされましたが、そもそもは1962年の独立以前から続く国際社会からの「民主化圧力」が深く関係しています。民主化は、その国の実情に合わせて、試行錯誤を重ねながら達成していくべきものです。

 半世紀前まで植民地だった国々や、大国と強く結びついた組織を国内に抱えている国々が、簡単に欧米仕様の民主化を達成できるはずがありません。国民としての一体化が十分でないところでの民主化は大変に困難な事業なのです。

 遠回りに感じられるかもしれませんが、独裁者や多国籍企業や私腹を肥やそうとする人にだまされない人たちを育てることが重要です。自分自身でものごとの善し悪しを考えることのできる人材育成を粛々と進めていくことが大切です。それを可能にするのが教育で、そうした面での支援を世界のNGOとNGOの支援者に期待しています。

 

 ――今後、取り組んでいきたい研究テーマを教えてください。

 世界には、少数民族をはじめとする国家によって事実上その人権を保障されていない人々、国際社会の「同士」として扱われていない人たちがいます。こうした人々を国際政治学はその枠組みの中にどう取り組んでいくのか。この問題は全く手がつけられていません。むしろ無視されています。確かに少数民族を守る法整備はなされつつありますが、現実的に機能しているとは思えません。研究を通じて、こうしたマイノリティーを国際社会の正規のメンバーとして取り込んでいく理論的枠組みづくりに貢献していきたいと考えています。

 教育面でいうと、NGOを通して世界とつながる、世界とつながろうとする「国際的市民」あるいは「世界的市民」を一人でも育成したいです。

 

 ――最後に学生へのメッセージをお願いします。

 世界にはいろいろな国があって、いろいろな人々がいます。国の中できちんとした扱いを受けていない人々もいます。彼らはそれぞれがそれぞれの歴史を背負い、事情をかかえています。単純に自分たちの基準でバッサリと切ることはできない。このことを理解してほしいですね。

 それにはまず世界の多様な人々を知ることです。それが平和のための基礎体力づくりにつながっていくのです。そこから出発してほしいです。

 

政治経済学部政治学科 教授 中沢 和男 (なかざわ かずお)

東海大学大学院政治学研究科博士課程後期単位取得退学。いくつかの高等学校の非常勤教員、大学の非常勤講師を経て、1996年に東海大学政治経済学部政治学科専任講師。2004年より現職。2005年4月から2006年3月までナイロビ大学開発研究所研究員。アフリカ地域開発市民の会理事。専門は国際政治学。主な編著、論文は、2004年『国際組織と国際政治』(共編著)北樹出版、2007年「発展途上国問題における市民社会の概念の検討」東海大学紀要(政治経済学部)第39号、2012年「国家をもたない民族の概念の国際政治学上の意義について」東海大学紀要(政治経済学部)第44号。 戦争や暴力という害毒に侵されないようにするにはどうすればよいか。それにはこう答えたい。世界にはさまざまな国(社会)と国民(人々)、そして生活がある。人々はみなそれぞれの歴史や地域の事情を背負って懸命に生きている。 いろいろ複雑な問題があるが、これを解決しようとする努力もたくさんある。何よりも、われわれ一人一人がこのことを知り、考えることである、と。