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北海道南西沖地震25年

最大の被災地 奥尻島で追悼行事

北海道南西沖地震から25年。遺族らの手で海に流された灯籠(とうろう)=北海道奥尻町で2018年7月12日午後7時28分、貝塚太一撮影
奥尻島

 230人が犠牲になった1993年の北海道南西沖地震から25年がたった12日、最大の被災地・奥尻島(北海道奥尻町)で追悼行事があった。

     島では沿岸全域を襲った津波などにより198人が死亡・行方不明になった。

     107人が犠牲になった青苗地区の海岸では、遺族らが灯籠(とうろう)を流し、犠牲者の冥福を祈った。

     妻を亡くした漁師の磯島幸男さん(89)は「気付けばあっという間の25年だった。今年も漁の忙しいシーズンが来るが、きっと見守ってくれている」と海を見つめていた。

     慰霊碑「時空翔(じくうしょう)」の前では、住民らが1000本のキャンドルに灯をともした。

     地震は93年7月12日午後10時17分ごろ発生。マグニチュード(M)7.8で奥尻島は震度6だったと推定され、最大で30メートルを超す津波が押し寄せた。【山下智恵】

    奥尻島、島民の高齢化、防災対策手探り

     198人が犠牲となった奥尻島では防潮堤や避難路の整備が進んだ。しかし、急速な高齢化に加え、より大規模な津波襲来も想定される中で、島民の命をいかに守るかが課題となっている。

     「揺れが収まって外に出たら、目の前の海を屋根が流れ、人がしがみついて助けを呼んでいた」。島南部の青苗地区には地震の約3分後に津波が押し寄せた。自営業、木元智幸さん(64)は高台に逃げたが、大規模火災も発生してこの地区で107人が犠牲になった。島西部にいた木元さんの両親も津波で亡くなった。

     復興事業で全長14キロ、最大高11メートルの防潮堤が築かれ、港の漁師がすぐ高い場所に逃げられるような人工地盤や避難路も整備された。「島内のどこからでも5分で高台に行ける」ように町は整えられた。

     その島に高齢化の波が押し寄せている。青苗地区の住民は4割が65歳以上。高台への避難路は急傾斜で、2年前まで区長を務めた木元さんは「一人では逃げられない人が多い。手助けができる人も限られる」と指摘する。道が2017年に発表した新たな津波浸水図も、町にとって衝撃だった。最大級の津波が発生すると最短1分で到達し、島内25の避難所のうち15カ所が浸水すると想定する。

     海沿いのわずかな平地と険しい斜面上の高台という厳しい地形の中で、新たな避難所の確保は難しい。今月上旬には雨で土砂崩れが発生し、島西部の神威脇地区が一時孤立した。土砂災害対応のハザードマップ作製の必要にも迫られるが、小さな町では人手も予算も追いつかない。町総務課防災係は「ハード面の整備は難しく、避難意識の徹底や声の掛け合いなどに期待している」と説明する。

     木元さんは「災害は『来ない』と思っていたら、それ以上のものが来たという繰り返し。避難路を想定しておくなど、今できることを確実にやっていくしかない」と唇をかみしめた。【山下智恵】

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