都市対抗野球

亡き総監督に10年ぶり勝利を 鷺宮製作所

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4強入りした2007年の都市対抗野球大会で、スタンドにあいさつする鷺宮製作所の西見一郎総監督(当時)。ユニホーム姿は名物だった=東京ドームで2007年8月30日、丸山博撮影
4強入りした2007年の都市対抗野球大会で、スタンドにあいさつする鷺宮製作所の西見一郎総監督(当時)。ユニホーム姿は名物だった=東京ドームで2007年8月30日、丸山博撮影

 第89回都市対抗野球大会に9年ぶりの出場を果たした東京都・鷺宮製作所は今年で創部60年。創部当初から総監督を務め、同社名誉会長になってもベンチで選手を励まし続けた西見一郎さんが昨年、91歳で亡くなった。チームの低迷期でも「野球は人作り。勝ち負けで部の存廃は決めない」と支えてくれた恩人に、選手たちは10年ぶりの勝利を届けようと意気込んでいる。【稲垣衆史】

 「野球部の父のような存在だった」。目良(めら)宏監督(47)は振り返る。創業者を父に持つ西見さんは、本格的な野球経験がなかったものの、同社に硬式野球部ができた1958年、総監督に。70年に社長に就いてからも試合ではベンチに陣取った。「この打者は当たっているから気を付けろ」。選手時代に捕手だった目良監督は、好調な相手打者の名前が蛍光ペンでマークされた新聞の切り抜きを何度も渡された。大切な試合直前の…

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