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詩の橋を渡って

命の点滅、映し出す空白=和合亮一(詩人)

呼び合っては

    いない

    点滅を

    繰り返す

    生きて

    いるもののように


     開いてみると左側にだけ、文字と数字とがある。右側はあくまでも前の頁(ページ)の裏側なのだろうか。開くほどにずっと左側には簡潔な詩行が続いている。大木潤子の新詩集『私の知らない歌』(思潮社)を手にすると、ともかくも大いなる空白が迫ってくる印象に出会うだろう。これは詩人が抱える言葉の余白であり沈黙であるとも感じられる。斬新な書物の印象があり、そのまま一つの美術作品にも眺められるかのようである。

     この白さとは何であろう。例えば「今日を/またいで/明後日に/行く」。「裏切りのようなことが/雨になって降ってくる/静かな降り立ち」。「光が休んでいる/その影の/歌」などの呟(つぶや)きの断片が続く。四つの章に区切られているだけで、他に表題が設けられてはいない。それぞれが一篇(いっぺん)ずつとも見なされるし、全体として一作品の様でもある。

     詩と詩のつながりが見出(みいだ)されてくる気もするし、通底する流れが初めから断たれているかのような感触もある。ひしひしと分かるのはこの詩集がもたらす緊張感は新鮮であり、最後まで何かが張り詰めて高まっていることだ。このようなフレーズを見つけた。「呼び合っては/いない//点滅を/繰り返す//生きて/いるもののように」

     宮沢賢治の詩集『春と修羅』の序文の「わたくしといふ現象は/假定(かてい)された有機交流電燈(でんとう)の/ひとつの青い照明です/(あらゆる透明な幽霊の複合体)/風景やみんなといつしよに/せはしくせはしく明滅しながら/いかにもたしかにともりつづける/因果交流電燈の/ひとつの青い照明です」をふと想起させられた。命という存在の不確かさを明るくなったり暗くなったりする電燈になぞらえている詩句であると受け止めてきたのだが、これら生と死を象徴するかのような<明滅>の場面が、ずっと続いているのかもしれない。

     例えばこれらは臨終の時を示しているのかもしれない。「骨の光の/点滅が/少しずつ/間遠になる」「瞬く燐(りん)の光、/それは生きていた時の/鼓動のように、/瞬く燐の光、」「骨を/離れてゆく」。「何もない空間に、/静かに満ちていくものがある//気配に耳を澄ませば、/ひとつ、ふたつ、遠い/目もあらわれる。」。大きな空白のようなものと向き合うと、やがて<目>と見つめ合っている感じが残る。死を見つめる根源的な詩人の生の眼(め)。そして詩を読もうとする私たちのそれを、白い鏡が映し出しているのかもしれない。

     「回り灯籠(どうろう)の混沌(こんとん)のなかに/小さな塵(ちり)が混じっていて/そこに光が当たったとき/めでたく詩が生まれるの/だが」。池上貞子『もうひとつの時の流れのなかで』(思潮社)は、中国文学者でもある詩人の二十七年ぶりの詩集。ここにも詩の<明滅>の瞬間を見つけた。そこに詩を書く人生の面白味が加えられている。「何しろ灯籠がいびつ/でおまけに軸が傾いてい/るので一体いつどのよう/にしてそれが起こるのか//誰にもわからない」=毎月第4木曜掲載

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