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広島・長崎原爆

1945年8月、広島・長崎へ原爆が投下されました。体験者が高齢化するなか、継承が課題になっています。

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長崎原爆の日

平和への誓い 日本政府に「極めて残念」

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「平和への誓い」を述べる被爆者代表の田中熙巳さん=長崎市の平和公園で2018年8月9日午前11時12分、上入来尚撮影
「平和への誓い」を述べる被爆者代表の田中熙巳さん=長崎市の平和公園で2018年8月9日午前11時12分、上入来尚撮影

 1945年8月9日、13歳だった私は、爆心地から3.2キロ離れた自宅の2階で被爆しました。爆風で飛んできた大きなガラス戸の下敷きになりましたが、奇跡的に無傷で助かりました。

 3日後の今ごろ、私は、家屋が跡形もなく消滅し、黒焦げの死体が散乱するこの丘の上を歩き回っていました。捜し当てた父方の伯母の家屋跡には、黒焦げになった伯母たち家族の遺体が転がっていました。この時、丘の下の上野町では、3日間生きながらえた母方の伯母の遺体をトタン板に載せて焼いていました。焼き終えた人の形をとどめた遺骨を見たとき、優しかった伯母の姿が目に浮かび、その場に泣き崩れました。原爆により身内5人の命が一挙に奪われました。この日一日、私が目撃した浦上地帯の地獄の惨状を私の脳裏から消し去ることはできません。

 原爆は全く無差別に、短時日に、大量の人々の命を奪い、傷つけました。そして、生き延びた被爆者を死ぬまで苦しめ続けます。人間が人間に加える行為として絶対に許されない行為です。

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【広島・長崎原爆】

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