- ツイート
- みんなのツイートを見る
- シェア
- ブックマーク
- 保存
- メール
- リンク
- 印刷
1945年8月9日、13歳だった私は、爆心地から3.2キロ離れた自宅の2階で被爆しました。爆風で飛んできた大きなガラス戸の下敷きになりましたが、奇跡的に無傷で助かりました。
3日後の今ごろ、私は、家屋が跡形もなく消滅し、黒焦げの死体が散乱するこの丘の上を歩き回っていました。捜し当てた父方の伯母の家屋跡には、黒焦げになった伯母たち家族の遺体が転がっていました。この時、丘の下の上野町では、3日間生きながらえた母方の伯母の遺体をトタン板に載せて焼いていました。焼き終えた人の形をとどめた遺骨を見たとき、優しかった伯母の姿が目に浮かび、その場に泣き崩れました。原爆により身内5人の命が一挙に奪われました。この日一日、私が目撃した浦上地帯の地獄の惨状を私の脳裏から消し去ることはできません。
原爆は全く無差別に、短時日に、大量の人々の命を奪い、傷つけました。そして、生き延びた被爆者を死ぬまで苦しめ続けます。人間が人間に加える行為として絶対に許されない行為です。
この記事は有料記事です。
残り815文字(全文1244文字)
時系列で見る
-
原爆投下前に電文「長崎、小倉、広島入らぬよう」
1449日前 -
首相、面談時も従来見解 被爆者失望、憤り
1449日前 -
平和祈願、たいまつ手に 浦上天主堂
1449日前動画あり -
被爆3世の創成館・松山、その時、黙とう
1449日前 -
2カ月で被爆、葛藤の末、継承誓う
1449日前 -
川棚慰霊祭、取りやめに 町の被爆者協解散で /長崎
1449日前 -
遺影胸に核廃絶への思い新た 田中重光さん
1449日前 -
初参列のグテレス氏 祈りの折り鶴で交流
1449日前動画あり -
被爆者代表「速やかに核兵器禁止条約を」
1449日前 -
平和への誓い 日本政府に「極めて残念」
1449日前 -
平和宣言(要旨) 核兵器禁止条約賛同を
1449日前 -
甲子園の創成館選手ら黙とう「特別な思い」
1449日前 -
「核に頼らない」安保政策へ 市長呼び掛け
1449日前 -
母の死に後悔 85歳が初めて残す被爆体験
1450日前 -
グテレス事務総長 長崎で被爆者団体の代表らと面会
1450日前 -
国連事務総長が式典に初めて出席
1450日前動画あり -
生きている限り手を合わせたい 遺族ら40人冥福祈る /長崎
1450日前 -
ラジオ「LOVE FM」が平和特番放送 あす /福岡
1450日前 -
「平和のバトン」祖母ら2人の体験、物語で
1450日前