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戦争を知らないけれど

戦後73年。犠牲者を悼む夏も平成最後となり、体験はさらに遠のく。それでも、受け継いでいけることはあるだろうか。若い世代とともに、同世代の記者も考えた。本当の戦争を知らないけれど。

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戦争を知らないけれど

/4 南洋から我が子へ 30歳、兵士の無念たどり映画に

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マーシャルで没した佐藤冨五郎さんが戦前、バスの運転手をしていた周辺を散策する息子の勉さん(右)と大川史織さん=東京都豊島区で長谷川直亮撮影
マーシャルで没した佐藤冨五郎さんが戦前、バスの運転手をしていた周辺を散策する息子の勉さん(右)と大川史織さん=東京都豊島区で長谷川直亮撮影

 73年前に書かれた鉛筆の字はかすれていた。4500キロ離れた南洋のマーシャル諸島に出征した男性が、命を落とす数時間前まで書き付けた日記。大切な形見を家族から預かった東京都の大川史織さん(30)は、撮影した字をスマホの画面上で拡大しながら解読を続け、何度も男性の思いに触れた。「家族に会いたかったよね」。いつしか心の中で話しかけるようになった。

 大川さんは高校生の時、アメリカの核実験で被ばくしたビキニ環礁があるマーシャル諸島の存在をインターネットで知った。思い切って訪れた現地で耳にしたのは日本語の歌だ。「コイシイワ アナタワ イナイトワタシ サビシイワ」と女性たちが笑顔で歌っていた。「なんで私、知らなかったのだろう」。戦時中に日本が統治し、米国と戦った場所だった。

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