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戦争を知らないけれど

戦後73年。犠牲者を悼む夏も平成最後となり、体験はさらに遠のく。それでも、受け継いでいけることはあるだろうか。若い世代とともに、同世代の記者も考えた。本当の戦争を知らないけれど。

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戦争を知らないけれど

/5 砂川闘争、足跡守る 23歳、平和の原点 現場に無料塾

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砂川平和ひろばの福島京子さん(左)と計画中の食堂で使う野菜の状態を確認する瀬上拡史さん=東京都立川市で2018年8月5日、竹内紀臣撮影
砂川平和ひろばの福島京子さん(左)と計画中の食堂で使う野菜の状態を確認する瀬上拡史さん=東京都立川市で2018年8月5日、竹内紀臣撮影

 東京都立川市砂川町はかつて、旧米軍立川基地の滑走路拡張に住民らが反対した「砂川闘争」の現場だった。今は畑が点在する住宅街となった片隅に、闘争の歴史を語り継ぐ市民団体「砂川平和ひろば」の事務所がある。今年2月、東京都の塾勤務、瀬上拡史(ひろし)さん(23)が門をたたいた。

 休日にできるボランティアをインターネットで検索し、たどり着いた。学生時代にフィリピンのスラム街でボランティアをし、平和と貧困に関心がある。しかし、立川に基地があったことも、住民と警官隊が衝突を繰り返した砂川闘争のことも知らなかった。室内の壁には、抗議の座り込みをする住民や、民家の真上を飛ぶ米軍機の白黒写真が掲げられている。闘争の歴史に目を見張った。

 「ひろば」は2010年、反対運動の中心にいた農家の故・宮岡政雄さんの次女、福島京子さん(68)が開いた。基地問題を考える催しなどを開いてきたが、会員約20人の大半は50代以上。闘争を知らない世代にも足を運んでもらおうと、近所の子どもたちに無料で食事を提供する食堂を考えていた。

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