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全被害者救済に尽力 大石利生(おおいし・としお)さん=悪性腫瘍のため、7月6日死去・78歳
水俣病の患者・被害者団体は被害補償を求める手法に対する考え方の違いなどから複数に分かれ、別々に裁判や交渉などを展開してきた歴史がある。そうした中、大石さんは他団体主催の集会や講演会にも顔を出した。「皆、同じ被害者ですから」。昨年、各団体が長年の垣根を越えて「水俣病被害者・支援者連絡会」を結成できた陰には、大石さんの真摯(しんし)な姿があったと私は思う。
熊本県水俣市の高台の地域に生まれ、水俣湾の魚を食べて育った。水俣病の原因企業チッソや関連会社に約20年勤めた後、さまざまな職に就いた。足にガラス片が刺さっても痛みを感じなかったが、医師に「あなたは水俣病」と告げられたのは40代半ばになってからだった。2004年の水俣病関西訴訟最高裁判決が現行の認定基準より幅広く患者認定したことを受けて翌年、不知火患者会を結成して会長に就任。未認定患者の救済を求め…
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