先の大戦が鹿児島県の奄美群島に残したものの一つが黒糖焼酎だ。原料の黒糖は江戸時代、薩摩藩に収奪され、島民の手元には残らなかった。大正時代に醸造所もできたが、沖縄にならい、コメで造る泡盛が主流だった。
状況は戦後8年間の米軍統治で変わる。本土との物流が途切れ、余った黒糖で本格的な焼酎生産が始まる。日本復帰後は奄美だけに黒糖焼酎の製造が特例的に認め…
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