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昭和天皇侍従の日記 歴史を問い返す大切さ

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 昭和天皇に1974年から約15年間仕えた故小林忍侍従の日記が見つかった。特に目を引くのは、1987年4月7日の記述である。

 「仕事を楽にして細く長く生きても仕方がない。辛(つら)いことをみたりきいたりすることが多くなるばかり。兄弟など近親者の不幸にあい、戦争責任のことをいわれるなど」

 この2カ月前、弟宮の高松宮が亡くなった。また、この年の1月、戦時中の側近だった木戸幸一元内大臣の日記の未公刊部分を明かす資料集が刊行された。木戸日記には、天皇が51年9月のサンフランシスコ講和条約調印時、戦争責任をとる形で退位も考えていたと記されていた。

 こうした状況と小林日記の記述から、天皇が晩年まで戦争責任問題を気にしていた様子がうかがえる。

 当時の富田朝彦宮内庁長官や卜部(うらべ)亮吾侍従の日記に小林侍従からの伝聞は記されていたが、今回は天皇の嘆きを直接聞いた本人の記録だ。

 法的な戦争責任は、日本を占領した連合国による東京裁判が、戦争指導者25人を有罪認定した。「勝者による裁き」との批判はあったが、日本は政治決着として受け入れ、独立を回復し、国際社会に復帰した。

 昭和天皇が戦争の多大な犠牲に道義的責任を感じていたことは、長年の研究で明らかになっている。

 一方で、法的責任を政治的に乗り越えた戦後日本再出発の微妙な成り立ちに、昭和天皇は人一倍敏感にならざるを得なかったのだろう。靖国参拝中止もその表れとみられる。

 小林日記の記述の翌88年4月28日、富田長官は手帳に、昭和天皇が参拝をやめた理由として、A級戦犯合祀(ごうし)に強い不快感を述べていたメモを書き残している。昭和天皇が亡くなった翌年の小林日記にも、靖国問題についての長い記述が見える。

 今の天皇陛下は、戦争への反省や戦没者慰霊に心を砕き、昭和天皇が切望しながら戦後訪問できなかった沖縄に思いを寄せ、靖国参拝を控えてきた。昭和天皇の強い心情を受けとめていたからであろう。

 国民にとっても、戦争責任の問題は今なお論点として残り続ける。

 間もなく平成の終わりを迎えるに当たり、こうした資料が出てくる度に、私たち自身が歴史を問い返すことの大切さをかみしめたい。

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