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大人から子供まで熱烈に支持されている「ちびまる子ちゃん」がアニメの正月映画になった。原作者のさくらももこさんは、素顔を知る機会が少なかったが、今回は積極的にインタビューに応じ、思うことをしゃべってくれた。
――さくらももこの名前の由来は?
「ペンネームです。漫画がどうしても賞に入らないとき、落語家になりたいと思ったんです。落語家の名は漫画のペンネームも兼ねて、花の名で、上も下も姓ではなく名前みたいなのがかわいいと思って。スミレとかも考えたんですが、結局、さくらとももがいいと……」
――漫画はいつごろから。
「漫画家にはあこがれて中学生で投稿しましたが、受験があるので高校生になったら描こうと。高校に入ったら気が抜けて気がついたら高二の春休み。進路を考えたら、やりたいことは漫画だと思いまして。高二の暮れから本格的に描き始めました。次の夏休みからエッセー漫画にしたら賞に入りました。短大を出て二カ月だけOLをしたあとデビューしました」
――「ちびまる子ちゃん」誕生は、どういうところから。
「OLをやめて、どっかで連載をやらせてもらえないと困ったのですが、『りぼん』でやらせてもらえるかどうか分かりませんでした。まずタイトルを考えました。『おでこちゃん』とか『のんきくん』とか。私は“くんちゃん漫画”と呼んでいるんですが、私だけの“ちゃん”がいいと思って。ちびまる子は、私が小さい時、母が呼んでいた名前だったんです。そうしたら『りぼん』から連載の話が来まして。これで七年目になります」
――その後の人気はすごかったですね。
「かわいがってもらえてよかったね、って言ってるんです。忙しくても好きな仕事ですから全然苦になりません」
――ネタ探しは大変ですか。
「わざわざ探すというより、普段の生活の中で気付いたことをエピソードにしています」
――まる子は小学校三年生ですが、この年齢にしたわけは。
「それ以下ですと、親や先生の管理下にあって言われるままだし、四年生になると落ち着いてしまう。三年生は自己主張を始めて文句を言ったりしますが、子供のところもあります。一番おもしろい時期だと思っています」
――まる子には、あなた自身が投影されていますか。
「漫画は経験に基づいている自分自身の姿です。エッセーのようなものです」
――昭和四十年代のなつかしさがありますね。
「オイルショックの前の年ですね。今はおじいちゃん、おばあちゃんがいない家が多いですが、基本的には変わっていないと思います」
――今度の「ちびまる子ちゃん/わたしの好きな歌」は二本目の映画ですね。
「そうです。今回はストーリーを映画用にして、セルの数を増やし、スクリーンで見るのにふさわしくしました。まる子が『めんこい小馬』の歌が好きになる話ですが、私自身が好きな歌を八曲入れています。笠置シヅ子から大滝詠一まで時代的にはさまざまです」
――テレビ放映が終わって寂しがっている視聴者が多いと思いますが。
「テレビは三年間と決めていました。計画を立て、テーマを考えてやってきましたので、終了は考えていた通りです。視聴率はあっても流されて惰性のものを作りたくなかったですから。再開する時はきちんと計画を立てて再開します」
――まる子の魅力はどんなところにありますか。
「日常の話で、あっさりしていてシンプルなところだと思います。シンプルは“粋”で、懐石料理みたいな良さがあります」
――長谷川町子さんの「サザエさん」と比べられることがあるでしょう。
「長谷川さんに申し訳ないです」(野島孝一)
<1965年生まれ。静岡英和短大在学中に「教えてやるんだありがたく思え!」を発表。86年から「りぼん」に「ちびまる子ちゃん」を連載。89年第13回講談社漫画賞受賞。90年からフジテレビでアニメ放送。テーマ曲「おどるポンポコリン」作詞。エッセー集「もものかんづめ」「さるのこしかけ」がベストセラー。結婚している>
(1992年12月1日東京夕刊から)
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