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「新芸」とその時代

(46)ソ連の仕事Ⅸ 知られざる功労者

左から西岡、許夫人、西岡夫人、許。撮影時期、場所は不明だが、若々しい西岡らの表情から、ソ連との仕事が始まった1960年代前半と推測される=西岡昌紀氏提供

北朝鮮からの亡命者

 新芸術家協会(新芸)がソ連に食い込み、リヒテルやムラヴィンスキーなど大物音楽家の招請を実現させた背後には、ソ連在住の一人の朝鮮人の協力があった。許真(ホ・ジン)または許雄培(ホ・ウンベ)という名の北朝鮮からの亡命者である。美しい日本語を話し、ソ連文化省やゴスコンツェルト(国家音楽委員会)との交渉に大きな力を発揮した。

     新芸社長・西岡芳和がいつどのように許と知り合ったのかは不明だが、2001年に筆者がインタビューした際、リヒテルとの元々の出会いについて尋ねたところ、真っ先に挙げたのが許の名前であった。

     「許という人は、抗日自衛軍で金日成らと一緒に戦っていた人間だが、金日成がだんだん横暴になって、命の危険を感じてソ連に亡命したらしい。声楽家の小野光子さんの紹介と、許さんが非常に要領よくつないでくれたおかげでリヒテル夫妻に会うことができ、じゃあ日本へ行こうか、ということになった」

     許真については、毎日新聞記者で、1960年代にモスクワ支局長を務めた谷畑良三も著書の中で詳しく記している。

     「知り合ったのは1966年末、毎日新聞の音楽事業で提携関係にあった新芸術家協会の西岡禧一(芳和)社長に同行して彼が支局を訪れた時のことである。ソ連文化省に籍を置く日本語通訳で、中央アジア、ウズベク共和国の首都タシケント出身と自己紹介した。(中略)許さんの夫人も医学教育を受け女医としてモスクワで働いていた。当時毎日新聞は、『幻のピアニスト』と呼ばれていたリヒテルの日本公演を実現するために、朝日、読売両社系の『呼び屋』との間で激しい誘致合戦を演じていた」

     谷畑は、許が完璧な日本語を話し、日本人の習慣にも詳しい様子を見て、ソ連軍参謀本部情報総局(GRU)の関係者ではないかと疑った。すると許はソ連共産党員証を見せてこう打ち明けた。

     「実は私は北鮮からの亡命朝鮮人です。ソ連にはそういう人がたくさんいて金日成打倒後帰国の機をうかがっている。私もそういうグループの一人です」(「クレムリンの赤い星をみつめて」)

    許の略歴

    モスクワで撮影されたと思われる写真。向かって西岡の右上が許、西岡の右隣はロシア語通訳の河島みどり。前列の左端はソ連・ボリショイ劇場のゲオルギー・イワノフ総裁=西岡昌紀氏提供

     日ソ文化交流に詳しい2人の研究者――半谷史郎、梅津紀雄両氏の協力で、ロシア語の書籍やウェブサイトで、朝鮮民族運動家であり在ソ朝鮮人の偉人として許が紹介されていることがわかった。その興味深い略歴は次のようなものだ。

     許は1928年中国生まれ。祖父ホ・ビは日韓併合に反対して日本に対して独立戦争を戦ったために処刑されている。ハルビンで中等教育まで受け、45年に平壌に移住。朝鮮戦争に従軍した後、52年にソ連に留学し、映画大学の脚本科に学んだ。56年、祖国での金日成独裁を糾弾する学生運動を組織し、危うく北朝鮮へ送還されそうになったが、監禁されていた大使館から脱走し政治亡命を申請した。亡命は認められたが、モスクワへの居住は許されず、中央アジアのタシケントで大学の教師として働いた。ソ連国籍を取得し、64年にモスクワへ戻り、88年までソ連文化省の日本課で働いた。

     詩や小説のほか、「地上の楽園」と喧伝(けんでん)された北朝鮮の政治体制の実態を暴いた著書も執筆した。モスクワ国際朝鮮大学の設立に尽力し、総長に就任。90年に設立された全ソ朝鮮人協会では第一副議長に選任された。97年にモスクワで死去。「朝鮮民族の復興と韓ソ友好強化への寄与」により韓国大統領から勲章が授与されている。 

    念願の著書出版

    林隠のペンネームで許が執筆した「北朝鮮王朝成立秘史-金日成正伝」=筆者蔵

     実は許は「林隠」のペンネームで、82年に1冊の本を日本で出版している。タイトルは「北朝鮮王朝成立秘史-金日成正伝」。出版実現に協力したのが毎日新聞を退社し、すでにフリーの身であった前述の谷畑であった。そのいきさつも前述の谷畑の著書に記されている。

     80年に谷畑が日ソ円卓会議出席のためにモスクワを訪れた際、許と久しぶりに会った。許は、かねて執筆していた金日成批判の原稿がまとまったので日本の出版社を紹介してほしいという。たまたま同じ円卓会議に出席していた自由社社長の石原萌記が朝鮮半島情勢に詳しかったことから許を引き合わせ、出版が決まった。原稿は81年に日本に無事届いたが、印刷前に出版計画が外部に漏れ、モスクワの許はソ連国家保安委員会(KGB)の取り調べを受けた。谷畑によれば、モスクワ駐在の北朝鮮大使からソ連外務次官に正式な「抗議」があり、KGBが動いたという。しかし、当時のソ連・北朝鮮の関係が冷戦状態であったことも幸いし、約半年間の「丁重かつ紳士的な」取り調べの後に「不問」にされたと許から連絡を受けた。

     許の著作は82年に出版された。巻末の著者自己紹介には「職業・朝鮮革命家」と記されている。

    「この本はバイブル」

    ジャーナリストの恵谷治。取材の後、今年5月20日に死去した

     長らく北朝鮮情勢を取材し、「ドキュメント 金日成の真実」(毎日新聞社)などの著作があるジャーナリスト・恵谷治(えや・おさむ)は「革命家」としての許に直接会った数少ない日本人の一人だ。今年4月、筆者の取材に次のように語ってくれた。

     「『北朝鮮王朝成立秘史』は私にとってバイブルのような本です。ちょうど私も金日成の伝記を書いていたので、ぜひ著者に会ってみたいと思ったのです。北朝鮮研究者の李命英さんらと94年ごろにソウルで会ったのが最初だったと思います。許さんの本が出た82年ごろは、金日成批判や北朝鮮批判が多少聞こえてきても、活字になるのは金日成万歳という論調ばかりでした。ですから、金日成批判のこの本を読んだ時、『北』の内部情報があまりにも具体的で、強い衝撃を受けました。これは想像ですが、権力闘争で金日成がどんどん反対勢力の粛清を進めていく中、許さんはどちらの側にも引きずり込まれることなく冷静に観察できる立場にいたのではないかと思いました」

     恵谷は許が語ってくれたモチーフで「姜(カン)一族の物語」というフィクションも執筆。許とは数回会っているが、肩書として聞いていたのは在ロシア高麗人協会の幹部であることだけで、日本へのソ連の音楽家招請に協力していたことはまったく知らなかった。

     「ただ、許さんと話していて、非常に文化的な教養のある人だと感じました。許さんは『両班(リャンバン)』という、朝鮮の上流階級の出身で、幼い頃から西洋音楽に触れていたのかもしれませんね」

     許は自分のことをあまり語らぬ人であったらしく、一緒に仕事をした新芸の元社員らも、有能な通訳兼コーディネーターで、モスクワ大学あたりで日本語を教えたり、翻訳の仕事をしたりしていたようだ、という漠然とした情報しか持ち合わせていなかった。しかし、冒頭で紹介した西岡の言葉から、西岡自身は許の素性をある程度知った上で仕事を依頼していた可能性もある。国際電話を申し込んでつながるまでに数日かかることもあったという時代に、有能な協力者が現地のソ連にいることは、「呼び屋」として計り知れないメリットがあったにちがいない。

     日本の音楽文化、日ソ文化交流に貢献したといっても過言ではない「革命家」の実像をもっと明らかにできればと思う。【野宮珠里】

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