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もうひとつの動物園

生息地での調査や保全活動、環境教育の実践など、動物園の「もうひとつの姿」を紹介します。木曜日更新。

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守り・伝える/220 オランウータン/12 /東京

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多摩動物公園とジプシー

 太平洋戦争が始まる前年の1940年、上野動物園の年間入園者は300万人を超え、飽和状態だった。終戦の45年はその1割に落ち込んだが、にぎわいを取り戻すのに時間はかからなかった。

 終戦の2年後には、都議会が二つ目の動物園建設の予算案を可決。都が想定した予定地は、今の新宿区にあった旧陸軍戸山学校などの跡地だった。

 ところが、この「新宿動物園」は幻に終わる。連合国軍総司令部(GHQ)が「動物園より住宅を」と難色を示したためだ。東京はまだ焼け野原だった。

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