高田勇・元長崎県知事=飯ケ浜誠司撮影

 長崎県知事を4期16年務めた高田勇(たかだ・いさむ)さんが8日、長崎市内の病院で心不全のため死去した。92歳。葬儀は近親者のみで営み、後日、お別れの会を開く。喪主は妻府子(もとこ)さん。

 東大卒。旧自治省官僚から1970年、長崎県総務部長になり、副知事を経て82年から知事を4期務めた。

 雲仙・普賢岳災害では大火砕流直後の91年6月6日夜、鐘ケ江管一・島原市長(当時)を説得し、全国で初めて人家密集地域を警戒区域に設定、住民を強制的に避難させることを決意させた。これが8日の火砕流から人命を守った。国に働きかけて雲仙岳災害対策基金を創設し、島原地域再生行動計画(がまだす計画)を策定するなど復興に尽くした。

 また、長崎市だけで死者・行方不明者が262人に上った82年7月23日の長崎大水害でも知事として復旧に努めた。国営諫早湾干拓事業を推進し、「ギロチン」と呼ばれた97年4月の潮受け堤防閉め切りにも立ち会った。

 九州横断道や西九州道など道路整備にも尽力し、「道路の高田」と呼ばれた。