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展示

「絵踏」豪商や豪農も 幕末の日田、禁教の実態明らかに 広瀬資料館、古文書を解読 /大分

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 九州の天領(幕領)を支配した西国筋郡代のお膝元である日田で、幕末期に行われた「絵踏(えぶみ)(踏み絵)」とキリシタン禁教令の実態が、広瀬資料館=日田市豆田町=に伝わる古文書の解読で明らかになった。その対象は庶民だけでなく、苗字帯刀を許された豪商や豪農にまで及んだ。6月に「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が世界文化遺産に登録されたのを機に、同資料館の園田大・学芸員(40)が調査し、展示した。11月末まで。【楢原義則】

     絵踏は、幕府がキリスト教徒弾圧のため、キリストやマリアの像を刻んだ木や金属板を足で踏ませたもの。踏むことができれば信者ではないとされた。島原・天草一揆(島原の乱、1637~38年)後、弾圧をより強化した。

     園田学芸員が、豪商の広瀬家に伝わる古文書の中から日記に絞って調べた結果、絵踏は毎年3~4月に実施されていたことが判明。第7代当主の源兵衛が政治、経済、社会情勢などを記した「広瀬本家日記」には、嘉永6(1853)年3月15日付で「宗門御改め絵踏は代官所役人が立ち会う。丸山町など陣屋周辺は代官所で、豆田町、中城町、淡窓町は長福寺で、田島町、庄手町、竹田町がこれに続いた」(現代語訳、田島町以下は場所不明)と記されている。

     第6代当主の「久兵衛日記」にも安政3(56)年3月16日付で、代官所、長福寺で「宗門御改め(絵踏)」が行われたことが書かれ、「この年からは苗字帯刀を許された者も絵踏した」と特記されている。園田学芸員は「該当する豪商、町役人、大庄屋などは当時19人。この年に長崎でキリシタン弾圧第3弾の浦上事件があったためでは」と推測する。

     明治になっても弾圧は続き、広瀬家のメモ「国事雑録」には、明治元(68)年3月に「不審なる者あらばその筋の役所へ申し出よ」と記した太政官布告の高札が豆田町に掲げられたのを伝えている。

     高札の撤去は明治6(73)年。郷土史に詳しい豆田町の伊藤豊明さん(69)は「絵踏の実態が具体的、身近に解き明かされ驚いた」と話す。

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