北海道地震

山と寄り添った故郷、無残 厚真町吉野地区 

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倒壊した自宅を訪れた脇田之正さん(66)。この日、父や弟の遺影などを見つけたが、「ここに来るたびにガックリくる。この後、自宅がどうなってどこで暮らしていけばいいのか不安は尽きない」と語った=北海道厚真町で、貝塚太一撮影 拡大
倒壊した自宅を訪れた脇田之正さん(66)。この日、父や弟の遺影などを見つけたが、「ここに来るたびにガックリくる。この後、自宅がどうなってどこで暮らしていけばいいのか不安は尽きない」と語った=北海道厚真町で、貝塚太一撮影

発生から20日で2週間 半数以上が犠牲、跡形もなく

 北海道胆振(いぶり)地方を震源とする地震で震度7の揺れに襲われ、36人が犠牲になった北海道厚真町。13世帯34人が住んでいた吉野地区の集落は約1キロにわたる土砂崩れで埋まり、住民の半数以上の19人の命が奪われた。地震発生から20日で2週間。「今も信じられない」。生き残った住民は失われた故郷を受け入れることができない。【浅野孝仁、三瓶杜萌、金子淳】

 土砂に埋まった本棚をはたくと、砂ぼこりが舞い上がった。吉野地区の自宅で、脇田之正さん(66)はゴム手袋をはめて家の記憶をつなぐ品々を探した。「わや(めちゃくちゃ)だな」。隣家で犠牲になった土田健二さん(63)の兄昌和(まさかず)さん(65)も、そばで「わやだ」と力なく笑った。

 吉野地区には1891年、北海道小樽市から4世帯が入植。厚真川沿いの湿地帯を田畑に変え、風を避けるため山を背に家々を建てた。その末裔(まつえい)の脇田さんは人生の多くをこの地で過ごしてきた。高さが50メートルもない裏山は夏、クリが白い花を咲かせ、集落は甘い香りに包まれた。子供のころは虫捕りやスキーを楽しんだ。その山が崩れ、集落をのみ込んだ。

 6日午前3時すぎ。激しい衝撃と横揺れで目覚めた。気づくと屋根が目の前に迫っていた。枕元にあった携帯電話の明かりを頼りに隙間(すきま)からはい出て、土砂で家が10メートル流されたことに気づいた。母と妻も無事だったが、1人暮らしだった健二さんの姿が見えない。夜明けから「健ちゃん!」と何度も叫んだ。

 昌和さんはこの日の朝、厚真町の隣にある苫小牧市の自宅で携帯電話のニュース動画にくぎ付けになった。「あの山がまさか崩れるとは」。弟を捜そうと車を走らせ、混乱する避難所で、土まみれのジャージー姿で青ざめていた脇田さんと再会した。「おれ、助かった。(土田さんの)家、つぶれた」。翌日、弟の遺体が見つかった。

 脇田さんと昌和さんは小中学校の同級生。昌和さんは進学を機に故郷を離れたが、月1回は古里に帰った。2年前に父、今年は母が亡くなった。葬儀では集落の人々が料理を持ち寄り、みんなで死を悼んだ。その多くが地震で犠牲になった。

 「変わり果てた吉野を見たくなかった」。昌和さんが、覚悟を決めて現場を訪れたのは地震から5日後。土砂で30メートルほど押し流された実家の前に置かれた段ボール箱には、自衛隊員らが集めたとみられる母の着物や手紙が入っていた。しかし、祖父母や両親の位牌(いはい)は見つからない。「吉野の人は、みんな家族のようなものだった。故郷がなくなってしまった……」

 毎年9月12日には近くの吉野神社で秋祭りがある。集落の男性が境内でビールを手に、畑でとれたジャガイモや枝豆を食べながら談笑する。だが、その神社も痕跡すら見当たらない。

 誰もいなくなった集落は秋を迎えた。白い雲が青空に浮かび、黄金色の稲穂が風に揺れる。しかし家々は土砂に覆われたままだ。「これだけ跡形がないと涙も出ない」。脇田さんがつぶやいた。

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