
今年5月、京都大が吉田キャンパス(京都市左京区)周囲の立て看板(タテカン)の撤去を始めた。学生たちが自由にアピールするタテカンは「京大の文化」とも評されてきたが、京都市が屋外広告の規制条例で指導し、京大が従った。以降、「表現や思想の自由に反する」と訴える学生らが新たなタテカンを設置しては京大が撤去する「いたちごっこ」が続いた。撤去反対派は規制の是非を根本から話し合うよう求めているが、ゼロ回答のまま。京大が誇るべき学風とされる自由や対話を自ら軽んじているようで残念だ。
タテカンが目立ち始めたのは学生運動が活発だった1960年代という。京都市内では立命館大や同志社大などにも多かったが、大学の規制・管理の強化で消え、京大は“最後のとりで”だった。政治色の濃いものは一部で、近年はサークル活動の紹介などが大半だった。デザインや主張がユニークなものも多く、地域住民にも愛されてきた。私は京都市で約9年間の学生生活を送り、後半の4年半は京大大学院に通学。創意工夫のあるタテカ…
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